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僧侶
【東京雑学研究会編】


§仏の前では平等なのに、なぜ僧侶に階級があるのか?

仏教の教えでは、仏の前では、人はみな平等だという。しかし、実際には、僧侶の中にも階級があり、ほかの人間社会と変わるところがない。
階級は、宗派によって異なるが、例えば天台宗の場合には、位の高い順から「大僧正」「権大僧正」「僧正」「権僧正」「大僧都」「権大僧都」といった具合に、細かく定められている。「権」とは、「副」といった意味である。「大教師」「大教正」という位がある宗派もある。
僧侶は、これらの位によって、執り行う儀式も違うし、衣や持ち物にも差が出てくる。
これは、同じ教えを信じる者同士でも、集まって修行をしているうちには、教えを知るようになった期間や学識、信仰の深さに差が出てくるためだという。僧の中でも指導する者、される者という立場の違いも生じ、組織を維持するために、階級ができるのである。
もっとも、これは仏教に限ったことではなく、ほとんどの宗教において見られることなのである。発生当初は、崇拝の対象となる神や仏の前では、全ての人が平等とされる。だが、その宗教が広がり多くの信者を獲得していくと、組織の形ができあがっていく。そして、指導者や信者の中に、階級制度がうまれるのだ。
これを嫌って、あえて組織から離れて新しい教えを唱える者や、位を拒否する者が現れる
童話やアニメの『一休さん』のモデルとして親しまれている臨済宗の禅僧、一休和尚もその一人である。
幼くして才気にあふれ、都でも評判だった一休だが、権勢に近づこうとはしなかった。青年期には、衣食にも事欠くほどにまで修行に励み、同じ宗派の禅僧らをも、名誉や安逸を求めるとして非難した。師匠が、位や肩書きを与えようとしても断り、ぼろ衣を着て、尺八を吹いて歩いた。
身分や貧富の差にとらわれない、平等の禅を説いた一休は、庶民の信望を集めた。八〇歳をすぎてから、天皇の強い希望で、京都の大徳寺の住持となったが、これも大徳寺の再建のためだったという。




東京書籍
「雑学大全」
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