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東ティモール(国のなりたち)


ティモール島の近代史は,1515年ポルトガル人が白檀採取の目的で全島を植民地化したことに始まる。のち,島の西側に勢力を伸ばしたオランダとの3世紀半にわたる抗争の結果, 1859年のリスボン条約で東西に分割され,東半分だけがポルトガル領となった。第二次大戦中は日本軍が南進政策の一環として占領。1975年独裁政権の崩壊したポルトガルが,海外領土の植民地政策に基づいて撤兵したことから,即時完全独立派の「東ティモール独立革命戦線(FRETILIN)」が,少数のインドネシア併合勢力を抑えて同年11月一方的に独立を宣言した。一連の動きに対してインドネシアは軍事侵攻によって全域を占領し,76年7月には国内27番目の州として強制併合した。国連やポルトガルは併合を認めず,再三にわたって撤退要求の国連決議を採択したが,インドネシア側は内政問題として黙殺したまま,実効支配をとり続けた。この間,91年11月には葬儀中の住民を国軍が発砲して100人以上が虐殺されるサンタクルス事件が発生,国際的な非難を浴びた。99年8月インドネシア民主化の流れのなかで,独立の可否を問う国民投票が実施され独立賛成が圧倒的な支持を集めた。直後インドネシア残留派民兵による騒乱が発生,25万人を超える避難民が西ティモール側に流出。2000年2月国連による東ティモール暫定行政機構(UNTAET)の管理下に入り,02年5月に21世紀最初の独立国となった。




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「世界各国要覧」
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