イラン(国のなりたち)
イラン人の祖先は,ロシア南部から南下したアーリア人種(メディア人,ペルシャ人)であるといわれる。メディア人は紀元前708年,イラン史上最初のメディア帝国を建設し,紀元前550年には,ペルシャ人がアケメネス朝(ペルシャ帝国)の基礎を築いた。その後,ペルシャ人による王朝が興亡を繰り返したが,一方で欧亜にまたがる周辺諸民族に征服されて,しばしば国土を失った。第一次大戦後,トルコ系部族のカジール朝が崩壊すると,その後を受けてコサック兵団を率いたレザー・シャーが1925年に皇帝となりパフラビー朝を樹立,10年後にペルシャからイランへ改めた。第2代のパーレビ皇帝は急進的な西欧化政策を推進したが,イスラム法重視の宗教指導者たちの反感を買い,反国王機運は高まった。79年国王を追放し,イスラム教最高指導者のホメイニ師によるイスラム革命が成功,国民投票によって共和制に移行し,国名を「イラン・イスラム共和国」と改めた。しかし,過激で厳格なイスラム法を推し進めるホメイニ体制は,周辺諸国や社会に混乱をもたらし,その結果米大使館占拠と館員の人質事件(79年)やイラクとの戦争勃発(80年)などを招き入れることとなった。
| 東京書籍 「世界各国要覧」 JLogosID : 14050249 |