クウェート(国のなりたち)
紀元前3500年頃からすでに定住者が見られ,ペルシャ湾岸で商業活動などに従事したという。当初は,沖合にあるファイラカ島を拠点とし,シュメール,バビロン,ペルシャ,サラセンなどの各時代を通じて東西貿易の基地の1つとしてにぎわった。16世紀に入って欧州諸国の進出が始まり,最初にポルトガル人が城塞を築いてペルシャ湾一帯の拠点とし,のちオランダ,英国と影響力は移り変わっていった。18世紀の初頭にはアラビア半島内陸部から,サバーハ家を中心としたバニ・ウトバ族が移住して町を建設,現クウェートの第一歩を築いた。サバーハ家の家長サバーハ1世は部族の信望を集め,1756年に住民を代表する首長に選ばれた。19世紀後半になると,オスマン・トルコの支配権拡大の動きや,ペルシャ湾進出を虎視眈々とねらうドイツ,ロシアなどの動きを牽制する意味で英国との利害が一致,1899年に英国と友好条約を締結して事実上その保護下に入った。1950年代には石油収入をもって国内開発,工業化を図り,61年英国からの完全独立を獲得。90年8月クウェートを自国領と主張するイラクが武力侵攻し併合を宣言したため,91年1月米軍主体の多国籍軍がイラクに宣戦布告して湾岸戦争に突入,翌月クウェートを解放したが,戦火によって国内は甚大な被害をこうむった。
| 東京書籍 「世界各国要覧」 JLogosID : 14050281 |