スロバキア(国のなりたち)
先住民はケルト人で,のちゲルマン人も入ったが,5世紀頃からスラブ人の定住が始まった。623年西スラブ系初の部族連合国家サーモ国が創設され,9世紀には,ボヘミア,モラビア,スロバキア,現在のドイツ,ポーランド,ハンガリー,オーストリアの一部を包む大モラビア帝国が成立した。906年,遊牧民で異教徒のマジャール(ハンガリー)人が侵入,スロバキアはその支配下に入り,1699年からはオーストリア・ハプスブルクが領有した。第一次大戦でオーストリア・ハンガリー帝国が崩壊すると,1918年にボヘミアとモラビア(チェコ)とともに,西スラブ系民族の同胞を背景としてチェコスロバキアを発足させた。第二次大戦が始まると,ドイツの保護下でどうにか独立の体裁を保った。第二次大戦後,スロバキアとチェコは再び統合して独立を取り戻したが,80年代からの東欧民主化の流れにともない,89年共産党の一党独裁が崩壊。90年には自治権拡大と経済格差が表面化したスロバキアが連邦制の対等な主権を要求,チェコ・スロバキア連邦共和国と国名を改称したものの,92年6月の選挙で民族主義派・左派が勝利して7月17日スロバキア議会は主権宣言を採択した。翌93年1月,世上“静かな離婚”と評される話し合いにより連邦は解体し,単独で独立を果たした。
| 東京書籍 「世界各国要覧」 JLogosID : 14050683 |