ボスニア・ヘルツェゴビナ(国のなりたち)
紀元前10世紀にはトラキア人が定住していたが,次第にギリシャ人の入植が進み,前3世紀にはローマの侵入を受けてその属州となった。6世紀に南スラブ系民族が移住し始め,民族構成はいっそう複雑さを増した。4世紀末にドリナ川とサバ川を境としてローマが東西に分裂,宗教面でも東方正教会とカトリック両勢力の境界線となった。以来,周辺地域での衝突が繰り返され,一部ではローマ教皇と正教総主教双方から迫害された住民がイスラム教に改宗する動きも出始めた。セルビア支配ののち,13世紀半ばからハンガリー王に直属したが,14世紀末には侵入してきたオスマン・トルコの勢力下で,北方のオーストリア・ハンガリー勢力とトルコ勢力とが激突する最前線となった。双方の争いは19世紀半ばまで続いたが,露土戦争の結果,ほぼ全域がオーストリアの支配下に入った。1914年サラエボ事件をきっかけに第一次大戦が勃発したが,戦後は南スラブ系民族が統合して発足したセルビア・クロアチア・スロベニア王国(29年ユーゴスラビア王国と改称)に参加。第二次大戦後は,ユーゴスラビア連邦人民共和国の1構成国として再出発。
| 東京書籍 「世界各国要覧」 JLogosID : 14050741 |