アルジェリア(国のなりたち)
先住民はベルベル人だが,7世紀にアラブ人が侵入し,ベルベル人は徐々にアラブ人と混血同化し,イスラム文化を受容することとなった。16世紀になってオスマン・トルコの支配下に置かれるが,実態は地中海海賊の根拠地で,オスマン・トルコの勢力が後退するにつれて海賊行為はますます活発になった。1830年,フランス軍は海賊取り締まりを口実に沿岸部を占領,71年には全域を支配した。以後90年間にわたってフランスの植民地となるが,先住民による反仏抗争は占領当初から執拗に繰り返されてきた。1925年,メッサリ・ハジの率いる「北アフリカの星」が組織的な民族運動として登場。のち急進派と穏健派に分裂するが,第二次大戦後の1954年,急進派がエジプトのカイロに集まり,アルジェリア民族解放戦線(FLN)の前身である「統一革命委員会」を結成,同年11月から対フランス武力闘争が始まった。こうして,フランス軍80万,アルジェリア側100万の死者を出す激戦アルジェリア戦争が7年半続いた。58年に登場したドゴール大統領の決断で幕を閉じ,62年3月エビアン協定でフランスはアルジェリアの独立を正式に認めた。
| 東京書籍 「世界各国要覧」 JLogosID : 14051160 |