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ギニアビサウ(国のなりたち)


12世紀から14世紀頃まで,内陸のマリ帝国の外縁部だったという。初めて来航した欧州人は1446年,奴隷狩りを目的としたポルトガル人ヌーノ・トリスタンであった。17世紀から18世紀にかけて,沿岸部のビサウとカシュウの両都市は奴隷貿易の中継拠点として繁栄,それは19世紀初期まで続けられたが,ポルトガル支配する地域は沿岸部にとどまり,内陸部にはおよばなかった。19世紀後半になると,欧米諸国による露骨な植民地争奪戦が始まったため,1879年には現領域をポルトガルが囲い込んだ。1902年から05年にかけて,現在の境界線を画定。第二次大戦後,民族自決の流れの中で,56年に「ギニアビサウカーボベルデ独立アフリカ党(PAIGC)」が創設され,63年から熾烈な解放闘争を展開,73年にPAIGCは一方的に独立を宣言し,翌年ポルトガルも独立承認に踏み切った。




東京書籍
「世界各国要覧」
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