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ケニア(国のなりたち)


沿岸部は,5世紀以前からアラビア人やインド人などの往来が頻繁で早くから開けていたが,内陸部は19世紀半ばまで外部に紹介されることはほとんどなかった。19世紀に入ると欧州の探検家が相次いで来航,中でも英国とドイツ最後まで支配権を争い,1895年に英国の保護領確定した内陸部近代的な都会ナイロビを建設した英国は,この地を拠点に“ホワイトハイランド”と呼ばれる白人専用入植地を開発。第二次大戦後,民族意識高まりに連動して,1952年ケニアでも白人に奪われた土地の回復を旗印に,キクユ族の秘密結社マウマウ団の暴動が起こった。60年代になると民族自決運動はますます激化し,63年12月英国もその独立を認めるに至った。64年7月共和制を採用して“建国の父”と呼ばれたジョモ・ケニヤッタ首相が大統領に就任,複雑な国内の部族対立を抱えながらも穏健な国づくりに着手し,堅実無難な政局手腕を見せた。




東京書籍
「世界各国要覧」
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