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赤道ギニア(国のなりたち)


1472年にポルトガルフェルナンド・ポーがビオコ島に来航して島を手中に収めたが,1778年スペインに譲渡され,以後は奴隷貿易の中継地として栄えた。20世紀に入るとスペインは大陸部の奥地まで支配権を確立し,1904年にスペイン領西アフリカ(のちスペインギニア)を構成した。フランコ政権時代の60年,黒人議員を本国国会に初めて送り出したが,アフリカ全土での民族自決運動の流れに抗し切れず,63年に自治権一部を付与。さらに国連勧告もあって,68年10月に赤道ギニア共和国の名で独立を達成。しかし,初代大統領に就任したマシアス・ヌゲマは,クーデターで失脚するまでの10余年間,独裁者ぶりを存分に発揮,知識人や反対者を粛清して恐怖政治呼ばれる苛酷な暴政を断行した。72年国外逃亡を防ぐ意味で国民の海外渡航を禁止し,78年には主要宗教であるカトリックも禁止した。同年,人権団体の国際アムネスティは,赤道ギニアで裁判なしに投獄された政治犯は1,000人以上,処刑された者は600人以上と発表している。79年クーデターでヌゲマ政権は崩壊したものの,その後も政情は不安定で91年に民主化要求するスペインフランス,米国などの圧力により新憲法が制定され,96年初の複数政党制による総選挙が行われて新政権が発足した。




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「世界各国要覧」
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