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マラウイ(国のなりたち)


紀元前からマラウイ湖岸にはサン族(ブッシュマン)とバンツー系混血民族のアカフラが定住していたが,のち西からバンツー系が集団移住を始め,7世紀頃までに湖の北部地方に定住した。16世紀に入るとカタンガ高原を拠点としたアマラウイ族が勢力を増し,19世紀頃までにマラウイ帝国と称して現在のザンビアモザンビーク広大な地域を支配した。のち各部族の侵入が相次ぎ,アラブの奴隷商人やポルトガル人が進出して悲惨な奴隷狩りの舞台となった。英国人探検家リビングストンが,マラウイ湖岸に到達して奴隷狩りの悲劇を目撃したのは1859年のことである。91年に英国はアラブ人奴隷貿易禁止を名目に,英国保護領とすることを宣言,1907年にはニアサランドと改称して立法議会を開設した。53年英国は南ローデシア北ローデシアとともに白人が統治する自治領中央アフリカ連邦(ローデシア・ニアサランド連邦)を結成したが,連邦反対の反英運動を招くこととなった。61年新憲法による総選挙,63年末の連邦解体を経て,64年7月に英連邦の一員としてマラウイの名で独立した。66年に共和制に移行。




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「世界各国要覧」
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