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NATO


North Atlantic Treaty Organization

 1949年4月、米国、英国、フランスイタリアベネルクス3国など12カ国によって調印された集団防衛機構。冷戦期にワルシャワ条約機構(WTO)に対抗した。冷戦終結後その存在理由が問われた時期もあったが、湾岸戦争、旧ユーゴ紛争での武力解決によってその必要性再認識された。NATOは設立以来、圧倒的な米国の核抑止力の庇護の下で、西側陣営の防衛戦略や責任をめぐって米欧間での協力と対立が繰り返されてきた。66年には米英管理体制に対するゴール大統領の反発によりフランスがその軍事機構から脱退。70年代には、米国の相対的な力の衰退を背景に、西欧諸国との責任分担(burden sharing)の問題が生じた。70年代末から80年代にかけては、中距離核戦力(INF)配備をめぐる論争が起きた。89年からの東欧革命による冷戦構造の終焉(しゅうえん)後に発表された91年のWTO解体を受け、同年11月のローマ首脳会議では、危機管理型の緊急対応を重視することが決定した(NATO新戦略)。ソ連の脅威がなくなったことにより、脅威対向型の集団防衛機構から、集団安全保障機構へと性格を変えている。冷戦終結後も米欧間の役割分担の論争は続いたが、94年のブリュッセル首脳会議で「欧州防衛アイデンティティ(ESDI)」や欧州主導の共同統合任務部隊(CJTF)の設置などで一致し、一応の決着をみた。99年ワシントンで開催された50周年記念首脳会議では、民主主義・人権尊重などの共通の価値を擁護し、大量破壊兵器国際的テロの脅威に対抗していくことが強調され、域外での軍事作戦が可能となった(NATO新戦略)。2001年の同時多発テロ直後にNATO初めて集団的自衛権を発効したが、03年春のイラク戦争をめぐっては、米欧の対立が先鋭化した。02年のプラハ首脳会議では重装備の緊急即応部隊(NRF)の創設が決定し、04年には26カ国体制となった(NATOの拡大)。




朝日新聞社
「知恵蔵2009」
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