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石動村(近世)


江戸期~明治9年の村名津軽郡鼻和庄のうち深浦台地北東部,大童子【おどじ】川流域に位置し,南方には青鹿山をはじめとする白神山地が広がる弘前藩領天和年間には大童子・岩坂新田・石動の3か村を総称して岩坂村と呼んだといい,同時期の絵図にも大道寺(大童子)村・岩坂新田・ゆすり木(石動)村が見えている(深浦町史)当村は,はじめ岩坂村の枝村であったが,享保11年岩坂村から分村して独立した村となった(村名改称并新村創立調)村高は,「貞享4年検地水帳」では岩坂村枝村として見え30石余(田26石余・畑屋敷3石余),「天保郷帳」23石余,「旧高旧領」37石余「貞享4年検地水帳」によれば,小字に「湯野・三宅」があり,当村分の反別は田3町6反余・畑屋敷1町1反余また,田は上田~下々田まで,畑は中畑・下畑・下々畑が設定されている元禄3年には不動村と見え赤石組に属し,村位は下(平山日記)神社は,元禄12年再建の熊野宮,および山神宮がある(西津軽郡史)明治4年弘前県を経て,青森県に所属明治初年の「国誌」にはすでに岩坂村支村と見え,戸数13とあるが,明治9年正式に岩坂村の一部となったという(同前)




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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