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下之切遣(近世)


江戸前期の遣名弘前藩の代官支配地域として,組に先立って設けられた行政区域の1つ津軽郡田舎庄のうち津軽平野の中部,岩木川中流右岸から津軽(梵珠)山地の西麓にかけて位置する梵珠山の西麓の地域を下之切と通称する封内事実秘苑の元和4年の条では飯詰村から北部の地域とある元和4年当地の田畑が荒廃したため,藩は開発者を士分に取立てるとして開発を奨励したが,寛永16年の洪水によって開発者は離散し失敗に帰した慶安2年藩は再び開発を奨励している(平山日記)「国日記」の寛文4年4月13日の条には切支丹改の役人派遣地の1つとして下ノ切の名が見える天和3年御代官所村家人数之帳(八木橋文庫蔵)によれば,下ノ切代官所の管轄は,石河村漆新田・石川村・高野村漆新田・前田ノ目村新田・前田ノ目村・丸ノ沢村・丸ノ沢漆新田・高野【こうや】村・高野村御伝馬新田・高野村漆新田・持子沢村・持子沢漆新田・羽野木沢村・羽野木沢漆新田・羽野木沢地子新田・原子【はらこ】村・原子村漆新田・沖館村・沖館村御蔵新田・野里村・杉新田・杉地子新田・神山村・松野木台村・松野木台地子新田・新里村・田越村・松野木台御蔵新田・中師村・金山村・野崎村・田中村・悪戸村・天神村・川代田村・戸沢村・石田坂村・平町・狐鼻村・狐鼻地子新田・飯詰村・朝日沢村・石河村・味噌ケ沢村・味噌ケ沢地子新田・味噌ケ沢漆新田・漆新田・岩崎村・沖飯詰村・河山村・桜庭【さくらば】村・毘沙門村・中崎村・中野村・中柏木村・島屋野村・嘉瀬村・嘉瀬村地子新田・中嘉勢村・小田川村・小田川村地子中新田・野崎村・野崎村上御蔵新田・牧渡新田・吉良市【きらいち】村・金木村・川倉新田・川倉村・八幡村・八幡御蔵新田・宮ノ沢村・五林村・五林村漆新田・中里村・森合地子新田・漆新田・尾辺地村・尾辺地村地子新田・黒崎村・薄市村・薄市地子新田・今泉村・田ノ沢村・湯ノ沢村・板割沢村・相内村・千川村・磯松村・脇本村・小泊村・小泊地子新田・壱ノ坪村・石畑村・尻無御蔵新田・太刀打【たちうち】村・漆川村・吹畑村・唐笠柳村・石岡村・二本柳村・万五郎屋敷付・広田村・七ツ館村・七ツ館御蔵新田・大田村の計105か村で,本村30か村,新田村が78か村であったなお同年に当遣から沖飯詰・姥萢【うばやち】・壱野坪・石畑・太刀打・永岡の6か村が五所川原遣に編入された(津軽旧記抄・五所川原市史年表)貞享4年に組が設定されて遣は廃止され,当遣は飯詰組と金木組に分かれたものとみられる現北津軽郡金木【かなぎ】町,五所川原市の一部などに比定される




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7251169