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飽海郷(古代)


平安期に見える郷名飽海郡のうち「和名抄」にいう飽海郡九郷の1つ古代,飽海郡衙は当郷域の現在の平田町大字郡山に設置されたといわれ飽海駅(現平田町大字飛鳥付近)も郷内にあり,当郷は飽海郡の政治・経済・交通・文化上の中核的位置を占めたそれを物語るかのように,郡山付近には古代遺跡が多くみられる飽海郡の三式内社のうちの1つ,小物忌神社が平田町大字山楯に鎮座しているその西方には三の宮の地名もあるさらに郡山の北西約2kmの酒田市大字手蔵田には古代集落の密集地帯があったまた,郡山の北東約3kmの酒田市大字生石からも古代集落跡が多く見つかっている一方,東方の出羽山地からは泉谷地窯跡群・願瀬古窯跡群などの大古窯跡群が確認されている前者で焼成された瓦は城輪柵【きのわのさく】(現酒田市)にも供給されたらしいこの地域が飽海郡という地域的な産業・分業の中で,重要な役割を果たしていたことがわかるさらに平田町大字北俣字本宮からは,平安期のものと思われる墳墓(本宮墳墓)が出土し,出羽山地沿いにこの地域を支配していた郡司級豪族の存在を推察することができる以上より推して飽海郷の範囲を郡山を中心として,最上川・相沢川以北,酒田市の生石・手蔵田に至る地域に比定することが可能のようである北は井出郷,西は秋田郷に接していたが,境界は不明相沢川をはさんで南を大原郷と接していたとも推測されるまた,当時の出羽駅路は,内陸より最上川を下って北進し,飽海駅(現平田町大字飛鳥付近)で上陸し,飽海郡衙を通って丘陵の裾野を北上し,国府を経て秋田に向かうコースであり,まさに当郷は交通上の要衝であった平安後期に当郷の行政単位としての性格は消滅,さらに荘園公領制成立期には,この地域は中世国衙領になっていったと思われる




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7261588