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越生郷(中世)


鎌倉期~戦国期に見える郷名入西【につさい】郡のうち正和元年7月28日の狩野貞親知行宛行状(萩藩閥閲録3)に初見同宛行状で越生光氏の所領越生郷内岡崎村田畠在家等と貞親の所領石見国加志岐別符【かしきべつぷ】(島根県江津【ごうつ】市)の5分の1とが相博され,同別符5分の1の知行が光氏に命じられた永和5年3月18日在録の越生郷大般若経奥書(東京都青梅市安楽寺蔵)には,「武州入西郡越生郷成瀬村」と見え,応永3年10月日在銘の上谷石造大日六地蔵塔には,「武州入間郡上谷村」,同4年5月3日の鎌倉公方足利氏満挙状写には「越生郷是永名,同郷水口田内窪田,同郷谷賀俟村」,同9年3月5日の報恩寺に対する越生光忠寄進状写には「如意【ねおい】村」,同18年12月13日の越生乙松丸田地売券写には「越生郷是永名之内大谷村」,同21年11月18日の越生宏忠売券写には「上野村」,同32年8月23日の尼禅智寄進状写には「恒弘名鹿下高房」,同33年6月19日の同寄進状写には「則次名箕輪田窪田」と見える(法恩寺年譜録)室町期には越生郷内には,是永【これなが】名・恒弘【つねひろ】名・則次【のりつぐ】名などの名【みよう】があり,岡崎・成瀬・上谷・谷賀俟・如意・大谷・上野・鹿下・高房・箕輪田・窪田など近世村・小名に引き継がれた村名・地名が検出される永禄3年12月10日の太田資正禁制(最勝寺文書)の宛名には,岩崎・上殿分・田代・大間・富沢・山田分と見え,近世の比企【ひき】郡大附村の小名である上殿を含むことから,越生郷は現在の越生町一帯と毛呂山【もろやま】町・都幾川【ときがわ】村の一部を含む広範な地域であったものと推定される同郷は児玉党の一族越生氏の本貫地で,是永名は応永初年にはその一部が吾那氏の,応永年間には越生郷東南部の上野村の一部が毛呂氏の所領であった入間郡内の有力寺院で越生氏の菩提所でもあった新義真言宗報(法)恩寺に同郷の多数の田畠・在家等の所領が寄進された文明17年2月25日の檀那売券(米良文書/熊野那智大社文書2)では,越生・毛呂の檀那職が5貫文で1年間譲渡されており,天正8年9月吉日の借金状では,金5両で当地の本山派修験の中心である越生の山本坊に檀那職が譲渡されており,熊野信仰の隆盛が知られる戦国期には岩付太田氏や,八王子城(東京都)の北条氏照の支配下にあり,徳川家康の関東入国後は,幕府直轄領となった近世初頭の慶長2年9月9日・10月1日の小杉村御地詰帳(関根家・相馬家)には,「越生之郷」と見える近世の村名に越生郷の名称は継承されず,同郷の中心地は今市【いまいち】村と称したが,上野・今市・如意・黒岩・和田・大谷・鹿下【かのした】・成瀬・津久根・大満【だいま】・黒山・小杉・堂山・上谷【かみやつ】・箕和田・竜ケ谷【たつがや】村の諸村は,越生郷16か村と称した(銘記集・法恩寺年譜録・武文・新編武蔵)

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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7286143