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上大島町(近世〜近代)


江戸期~昭和9年の町名明治44年までは深川を冠称葛飾郡西葛西【にしかさい】領のうち小名木【おなぎ】川の北,十間川をはさんで東西に位置していたもとは大島村のうちで,明暦3年百姓商売屋が設けられた宝永年間,永代売買・家作免許となり,宝永3年から,町奉行・代官両支配となる町名は当町の住居者が大島村上分であったことによる検地は元禄10年反別は4町6反余(備考)化政期の家数121軒(町方書上)八右衛門新田へ渡る渡船場があり,当町の弥兵衛がつかさどっていたので弥兵衛渡しともいわれた(備考)十間川の開削と釜屋六右衛門・七右衛門が助成したことから小名木川から竪川【たてかわ】に至る十間川を釜屋堀【かまやぼり】ともいった六右衛門は近江栗太【くりた】郡太田氏,七右衛門も同じ栗太郡田中氏の出で,寛永年間,江戸出府後,芝【しば】(港区)に居住したがのち大島村に移住鍋釜・仏像・天水桶などをつくった初代六右衛門は朝廷から「近江大掾」の号を与えられ幕府御用をつとめた明治5年の戸数110・人口542,物産に釜・鍋があった(府志料)明治元年東京府,同11年深川区に所属同22年横十間川(十間川)以東を南葛飾郡大島村に編入同24年,深川猿江【さるえ】町・猿江村字猿江の一部を編入し,一部を猿江町に編入昭和9年猿江町2丁目となる




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7298594