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黒江町(近世〜近代)


江戸期~昭和6年の町名明治44年までは深川を冠称深川猟師町8か町の1つで,浜13町の1つでもあった開発当初は助右衛門町と称し,御菜御肴御用をつとめ,無年貢地であった寛文10年の検地から年貢地となる元禄8年の検地の際,石高を24石余と定め,町名を町域を流れる黒江川にちなんで黒江町と改称元禄12年,町内に新たに堀がつくられた際,一部が上地となり黒江川向岸の北川町続に代地が与えられる正徳3年から町奉行支配となるが,引き続き年貢を納め,町奉行・代官の両支配となる(備考)化政期の家数497軒代地の家数19軒(町方書上)天和2年までは浄土宗真光寺があったが,類焼後上地となる跡地の一部に元禄15年浄土真宗盛益山西念寺が移転町内には通黒江町・東黒江町・かわらけ町・日陰町・西念寺横町などの俗称があった(備考)また,加賀金沢藩前田氏抱屋敷・物置場があった明治元年東京府に所属同2年代地は深川福住町の一部となり,深川佐賀町2丁目代地,同5年西念寺をそれぞれ合併同年の戸数362・人口1,582(府志料)同11年深川区に所属同37年,黒江川の埋立跡地に深川への市街電車の第1号が開通し,繁華な地となったまた明治中期頃から「夕かし」といい夕方から魚市場が開かれたが,関東大震災後,築地【つきじ】(中央区)の中央市場へ併合された昭和6年,永代2丁目・福住町1丁目・門前仲町1丁目となる現行の永代2丁目・福住1丁目・門前仲町1丁目のうち




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7299016