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八日市宿(近世)


江戸期~明治15年の宿名多摩郡柚木【ゆぎ】領八王子横山15宿のうち幕府領横山宿とともに15宿の中心をなす本宿であった地名の由来は,三斎市で8の日に市が立ったことによる(新編武蔵)戦国期,北条氏照が滝山城に居城した際,城下に八日市・横山・八幡【はちまん】の3町を建設したが,氏照が居城を八王子に移した際,城下町とともに八日市・横山・八幡の地名も移り,さらに小田原北条氏滅亡後,徳川氏の代官頭大久保長安によって横山宿(八王子横山15宿)が建設され,3度地名も移されたと伝える(横山根元記)元禄15年の宿高は94石余,家数133・人口719(八王子横山宿村鑑)化政期の家数は149(新編武蔵)本陣1軒・脇本陣2軒・問屋場1か所があり,横山宿とともに宿建人馬25人・25匹を負担,うち囲人馬5人・5匹(宿村大概帳)両宿は1か月交代で人馬継立をつとめ,文政4年には両宿が負担する1年間の人馬5,408人・3,348匹にのぼっている(磯沼家文書)六斎市は,八日市宿が8・18・28日,横山宿が4・14・24日両宿は市開設の特権を与えられた代わりに,年間永15貫文の運上金を間数割で負担元禄2年の「八日市定法」によれば,宿内は上町・下町に分かれ,紬座・高見世座・紙座・肴座などの市座が成立していた(新野家文書)「武蔵名勝」には「関東繁栄の市の内にて,高崎・藤岡・桐生などと名をひとしくす」とあり,織物・糸繭・木綿類・魚・野菜などの売買が行われた文政10年に編成された八王子寄場組合では,名主佐治右衛門が15宿惣代をつとめている地内の御鷹部屋跡は,御鷹支配を兼役した代官竹本権右衛門の屋敷地竹本氏は天和3年江戸へ移ったと伝え,また桃樹院の地は,寛文年間頃まで牢獄があり,馬乗【うまのり】宿陣屋へ牢獄を移した跡地に庵室を建立したという(武蔵名勝)その他,宿南うらの八幡宿境より東にかけて代官屋敷跡があった(新編武蔵)八王子横山宿の1つとして明治元年神奈川県,同11年からは南多摩郡に所属同15年八王子八日町となる




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7301851