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佐那武村(中世)


戦国期に見える村名加賀国石川郡大野荘のうち現在の金沢市寺中町に比定される村名の起こりは「白山之記」に見える佐那武社の所在による(白山史料集)長寛元年の「白山之記」の原型成立時には「佐那武社大野庄在之」と見えたものが,正応4年以後の書写・追録によって「佐那武宮腰」となり,社地の移転を示唆しているしたがって「源平盛衰記」に「平家は礪波山を落されて,加賀国宮腰,佐良岳の浜に陣を取る……佐良岳山に赤旗少々指上げたり」とあるのは旧社地辺の海浜・砂丘地を指している村としての初見は,天文7年8月16日,比叡山延暦寺の正観院が本願寺証如に領地の知行保証を求めた時の「加州末寺領佐那武守といふ在所」とあるもの証如は同月28日に至って「六ケ組佐那武守村」の知行回復命令を在地に発している(以上,天文日記)この「佐那武守村」は「佐那武寺村」の誤記であろう佐那武村の属する大野荘は,14,5世紀には臨川寺の一円支配下にあったしかし,佐那武社の尊重坊・法身坊を末寺と主張する正観院の権利は,臨川寺が大野荘を支配する以前からこの地域に扶植されており,大野荘が臨川寺の一円支配体制下に置かれても,そのまま消滅することなく残されたものであろう(大徳郷土史)一向一揆の支配下で六ケ組に編入されていた佐那武村を維持するため,延暦寺正観院は本願寺にすがらねばならなかったのである「佐那武村」は「天文日記」天文8年閏6月7日の記事を最後に姿を消し,天正14年5月2日の前田利家禁制では寺中村となった(佐那武神社古文類纂)




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7325096