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三ケ入会地(近世〜近代)


江戸期~昭和19年の地名美濃国各務【かかみ】郡のうち各務野(現各務原台地)のほぼ中央東部に位置した地名の由来は西市場・桐野・岩地の三か村の入会地であったことによるこの地は,永禄年間に織田信長が家臣赤座景政に与えた土地を,景政の子源右衛門が天正年間に西市場村に付し,江戸期に入って桐野・岩地両村が西市場村支郷として扱われるに及び,三か村の共有入会地となった元禄15年,入会地の一部に三宅佐兵衛と森孫作が六軒を開き,新開地70余町歩の年貢27石を3分して三ケ村・旗本徳山氏(領主)の両者が各9石ずつを収得して文政9年まで継続したまた入会地のうち字大野を野村の赤座近右衛門に1石7斗5升で永掟とし,字中野を成清【なるきよ】・前渡【まえど】・下切・高田の4か村に8石4斗5升で掟て,字孫次郎・字北中野・字火打野を西市場・桐野・岩地三か村の秣場【まぐさば】として明治初年に至った明治4年,岐阜県各務郡に所属同年,成清・前渡・下切・高田の4か村の掟野を引き戻し,加納村と永掟の契約をしたが,明治10年これを解消した明治7年,字孫次郎の原野を岐阜県庁が買い上げて牧牛を経営したが,収支が合わず廃止し,再び民間に払い下げた三ケ入会地の大半は,明治9・22年に陸軍省が演習場として買い上げたため消滅し,残地も大正10年川崎造船各務原飛行機製作所設置の折売却されるなどで全く消滅した陸軍省買上地は,明治9年に30余町歩,明治22年に約150町歩で,現在の航空自衛隊岐阜基地の主要地域に当たっているなお字孫次郎のみは,その後昭和19年に桐野外二ケ所大字入会地と改称して那加町の大字となり,昭和38年各務原市に編入されて那加桐野外二ケ所大字入会地の名で現在三ケ入会地の名残を留めている(那加町史)




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7344487