萩園村(中世)

南北朝期~戦国期に見える村名尾張国中島郡のうち円光寺領・熱田【あつた】社領建武2年5月19日付後醍醐天皇綸旨案に「尾張国円光寺為御祈願所,寺領萩園如元可致管領」とある正中年間に荒尾氏一族と思われる宗暁が当村内に円光寺を建立して以来同寺領であった元弘の乱の際,荒尾氏が六波羅方であったため,建武新政権下で一旦没収されたが,この時再安堵された暦応2年4月20日には守護高師泰が「尾張国中島郡円光寺々領萩園村」に対する干渉を停止している延文4年2月15日付宗暁置文によれば,同寺領「萩園村」は東で熱田社領鈴置郷・円興寺(現国分寺)・正福庵等四壁竹,南で大道・八瀬市庭,西と北で保領河俣田と隣接する18町からなり,生栗代200文を負担する熱田社領でもあった円光寺は妙興寺末寺で,当村も本寺滅宗宗興の管理下に置かれ,嘉慶2年8月13日付妙興寺領坪付注文などには惣領荒尾泰隆寄進分として「萩園村〈荒野〉僧宗暁寄付円光寺敷地」と記される応永34年から当村内松木をめぐって円興寺と相論があった長享元年頃の妙興寺領坪付注文にも見える(妙興寺文書/稲沢市史資料編7)比定地は,円光寺・萩園神社の所在する稲沢市矢合【やわせ】町北東部

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7360160 |