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堂島船大工町(近世〜近代)


江戸期~昭和53年の町名江戸期は大坂三郷天満組のうち堂島橋南詰1筋南を西へ,北中町東口の町(宝暦町鑑)元禄13年の大坂三郷水帳寄せ帳によれば,家数40軒,役数47.5,うち無役数2(年寄・会所),年寄は舟橋屋作兵衛当町の船大工は天満船大工町とともに蜆川(曽根崎川)の浜に船小屋を建てていたが,元禄元年堂島新地となったため,蜆川西から2つめに架かる汐見橋以西へ代地を許され,両町にて築立てたという(大阪市史1)延享年間には京積俵物買問屋古組の柳屋弥兵衛・松屋仁兵衛が当町におり,明和年間には松葉屋市兵衛方に米方の会所が置かれていたという(大阪商業史資料/浪速叢書9)明治2年大阪北大組,同12年北区,同22年からは大阪市北区の町名昭和50年の世帯数28・人口69と昼夜人口増減の激しい町である明治5年堂島新地北町・堂島永来町の各一部を編入同44年一部が絹笠町・曽根崎新地1~3丁目となる昭和19年一部が絹笠町となり,同53年残余は西天満1~6丁目・堂島1~3丁目となる




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7384696