100辞書・辞典一括検索

JLogos

19

魚崎新村(近世)


江戸期~明治9年の村名播磨国印南【いなみ】郡のうち法華山谷川(旧洗川)河口右岸,松村川左岸の低地に位置し,南は播磨灘に臨む戎神社の傍らに菅公ゆかりの伝説のある梅の井がある(増訂印南郡誌)慶長9年荒井村の六左衛門が塩田を開拓し,百姓20余名と移住したのが村の起源はじめ荒井新村と称していたが,寛永2年姫路藩主から村として認められ魚崎新村に改称したという(同前)しかし,「天保郷帳」には魚崎村枝村と見え,江戸末期までに同村から分村したと思われる姫路藩領村高は,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに96石余寛延2年の村明細帳控では,高96石余,ほかに塩浜17町余・塩浜直し新田5町があり,塩釜屋敷21軒・浜人7人で,運上銀3貫289匁を上納,その他の小物成としては水主米3石余・蘆運上銀4匁9分・唐網運上2匁余・酒株運上47匁余がある同帳によると,家数は267うち高須12(魚崎村・魚崎新村の枝村で総家数33),船数は船(20~60石積)5・小船(3~7石積)11・艜船(13石積)23とある幕末頃には綿業も行われ,安政6年に篠巻挊人2,庄屋陶太夫の名が見え,慶応3年には篠巻問屋1があった(姫路藩綿業経済史)寺院は真宗大谷派の円明寺・善行寺・真福寺,神社は恵美酒社(村明細帳控)真福寺は荒井村観音寺の末寺でのち廃寺,観音堂になる幕末頃僧侶岡崎文恵・医師滝藤庵の寺子屋があった(増訂印南郡誌)明治5年円明寺に南陽小学校を開設同9年梅井村と改称




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7388302