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亀坪新村(近世)


江戸期~明治9年の村名播磨国神東郡のうち川辺南荘に属した市川中流左岸,岩尾川上流の日光寺山塊へ深く入り込んだ谷の奥に位置する山中からフズリナ石灰岩を産する日光寺山東北の高峰城の城主伊豆祐国は赤松氏の幕下であったが,羽柴秀吉の播磨平定で落城したと伝え,その後仁色(現姫路市)に帰農し,文禄2年,先祖のお告げによりその次男・三男を高峰山麓の亀坪谷の開発に着手させたという「正保郷帳」には見えず,「元禄郷帳」に「西大貫村枝郷,亀坪新村」とある姫路藩領太尾組に所属村高は,寛延年間20石(神崎郡誌),「天保郷帳」「旧高旧領」ともに21石余神社は大年神社寺院の真言宗御室派金色山日光寺は日光寺山にあって法道仙人開基と伝えるが,高峰城落城の兵火で焼失,享保年間再建,播磨御所御室とも称される姫路城主は代々鬼門除守護寺として年々6石を献じた明治9年東田原村の一部となる




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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