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兵庫荘(古代〜中世)


平安期~戦国期に見える荘園名摂津国八部【やたべ】郡のうち六甲山地西部南麓に広がる平地に立地する長治2年2月10日付橘経遠寄進状坪付(九条家文書/平遺補31)に「(八部郡七条三里)廿八坪三反〈畠兵庫庄延定名外〉」「卅一坪六反〈一段兵庫庄松村名外〉」「(八部郡九条四里)廿坪三反〈田兵庫延定百八十ト〉」などとあるのが初見輪田荘と交錯する形で接している様子がうかがえる安元2年2月日付八条院御領目録(内閣文庫蔵山科家古文書/平遺5060)には,庁分御荘として「摂津国兵庫」が記載されているので,皇室領荘園であったことが知られる領家は池大納言平頼盛であったが,平家敗退後の寿永3年4月源頼朝は「兵庫三箇庄〈摂津〉」をもとどおり八条院領のまま,知行地として頼盛に安堵している(久我家文書1)この三箇庄というのは兵庫上荘・兵庫中荘・兵庫下荘の3つに内分されていたことをさすと考えられる鎌倉末期の嘉元4年6月12日付昭慶門院御領目録にも「一庁分……摂津国兵庫庄」とある(竹内文平氏所蔵文書/鎌遺22661)南北朝期には当荘は赤松範資の知行分であったが,文安年間頃に将軍家に召し上げられ,八条院領から幕府料所に変わったらしい(九条家文書2文明5年12月日付九条政基家雑掌申状案/図書寮叢刊)兵庫上荘は湊川流域,現在の神戸市兵庫区内に比定される文安6年4月29日付足利義政寄進状によって「摂津国兵庫上庄内徳珍名」が石清水八幡宮に寄進された(石清水八幡宮文書6/大日古)また文明14年頃の摂津国寺社本所領并奉公方知行等注文では「一,南禅寺双桂庵領 兵庫上庄内末弘名田畠〈不知行〉」と見え,南禅寺所領もあったが,応仁・文明の乱の余波で不知行となっている(蜷川家文書2/大日古)兵庫中荘は,上荘より早く鎌倉期の正応2年7月28日付寺領寄進状に「兵庫中荘内山野開発田畠荒野事」と見えるこの開発田畠などは妙法寺へ寄進されたもので,その四至に「限南神撫後」「限西下庄堺」と注記されている(妙法寺文書)また建武4年4月16日付沙弥某田地寄進状では「兵庫中庄公文名内拾弐条弐里拾坪」の1反が長田神社に寄進されている(長田神社文書)これからみれば,中荘の山野は北側山地「神撫」すなわち高取山の後に及び,その西側は兵庫下荘と接し,公文名のある八部郡12条2里1坪は苅藻川流域に当たると推定されるから,その荘地は六甲山地西部南麓の苅藻川流域,ほぼ現在の神戸市長田区に比定できる室町期には単に中荘とも呼ばれ,京都の相国寺の知行するところとなっており,「蔭涼軒日録」文明16年12月2日条に「就当寺領摂州中庄事,庄伊豆守強入部由,住持旭峰和尚訴状有之」などと見える相国寺領中荘は応仁・文明の乱中に庄伊豆守の押領を蒙り,いったん不知行となったが,文明14年に幕府から相国寺が直務すべき成敗を受けたところが,同15年11月に伊豆守の兄僧青源寺なる者が入荘して荘務を止めたという(蔭涼軒日録文明17年4月10日・13日条)文明16年頃の摂津国寺社本所領并奉公方知行目録に「一,相国寺領 中庄〈不知行〉」とあるのは,これを示す(蜷川家文書2/大日古)また,文明19年には「相国寺領中庄」が福原荘と合戦に及んだという(大乗院寺社雑事記文明19年4月19日条)兵庫下荘については貞応元年8月付大中臣景盛愁状案の証判に「兵庫下御庄地頭右馬允定元」とあるのが初見で(大中文書),同文書にはその後に中野田・田井村・中村・尻池村・板宿村・須磨村・野田村の刀禰らも署判している正和4年12月5日付田畠惣数目録に「兵庫下御庄内白河車造両畑田畠数惣目録事」(藤田文書),応永33年2月1日付宗妙等貞松庵并寄附田地置文(禅昌寺文書)に「摂州下庄貞松庵」と禅昌寺塔頭の名が見えることからすると,荘域は妙法寺川に沿う現在の神戸市須磨区東部に比定できる室町期には新熊野若王子社の所領となっており,応永7年5月22日付足利義持所領安堵状では「若王子領摂州兵庫下庄堺……并黒松谷用水田畠已下」を保障しているなお,この安堵状に「応保証験分明」とみえることから,兵庫荘の三分割は平安期の応保年間頃に行われた可能性もあろう正長元年10月8日付および永享10年10月29日付過書では「若王子領摂津国兵庫下庄年貢米弐百石」とある若王子社では代々の将軍の安堵を得たが,戦国期の領知覚書では,「兵庫下庄〈京着弐百貫〉」と年貢が銭納されていたまた三好日向守下荘支配の折は100石余を受納したが,その死後再び不知行となったと説明しており,戦国争乱のもとで当荘も衰滅していったことが知られる(若王子文書)なお,永禄12年3月7日付織田信長朱印状案には禅昌寺の寺領を安堵して「南禅寺真乗院末寺摂州兵庫下庄禅昌寺領,任当知行之旨,可被全寺納候」とある次いで,天正初年には当荘は荒木村重の勢力下に入っている(禅昌寺文書)




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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