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築坂(古代)


大和期から見える地名①築坂邑神武天皇は論功行賞として道臣命へ「築坂邑」に宅地を与えたとある(神武紀2年2月乙巳条)現在の橿原【かしはら】市鳥屋町付近か②桃花鳥坂綏靖天皇・倭彦命・宣化天皇らの陵墓伝承地身狭に含まれる地名まず神渟名川耳(綏靖)天皇は「倭の桃花鳥田【つきだ】丘上陵」に埋葬されたとあり(安寧紀元年10月丙申条),「御陵は衝田【つきだ】岡に在り」とも見える(古事記綏靖段)「延喜式」諸陵寮には「桃花鳥田丘上陵〈葛城高丘宮御宇綏靖天皇在大和国高市郡兆域東西一町南北一町守戸五烟〉」とある現在の橿原市四条町字田井ノ坪の地とされるが(陵墓要覧),同天皇の実在は疑問である垂仁朝には倭彦命が「身狭の桃花鳥坂【つきさか】」で埋葬されたとあるこの時生きながらにして埋められた近習者たちが一日中泣き叫ぶので,天皇は以後殉死を禁じたという(垂仁紀28年11月丁酉条)現在の鳥屋町字久保の地か(陵墓要覧)また宣化天皇は「大倭国の身狭の桃花鳥坂上陵」に埋葬され,皇后橘皇女やその孺子【わくご】が合葬されたと見える(宣化紀4年11月丙寅条)「延喜式」諸陵寮には「身狭桃花鳥坂上陵〈檜隈盧入野宮御宇宣化天皇在大和国高市郡兆域東西二町南北二町守戸五烟〉」とある「扶桑略記」に「佐桃鳥坂上陵」,益田池碑文(性霊集2)に「鳥陵」と見える現在の橿原市鳥屋町字見三才の地か(陵墓要覧)一方「延喜式」神名上の高市郡54座のうちに「鳥坂神社二座」が見える中世には「築坂社」「大伴社」(五郡神社記),近世には「天照太神」(大和志)とも称した「五郡神社記」によれば,神武天皇は道臣命を賞して,宅地を築坂邑に賜ったが,道臣はここに自分の先祖,高皇産霊尊と押日命の2神を祭る神社を造って築坂神社と号したその後,この坂に桃花を多く生ずるようになったので「桃花坂」といったが,旧号にならって「つき坂」と称したと伝承される鳥坂は桃花鳥坂の略称であろう現在の橿原市鳥屋町字東浦に比定されるちなみに現在の明日香村越には「鳥坂」の小字が残っている桃花鳥を「つき」と訓むことは,綏靖天皇桃花田丘上陵の所在地を「衝田【つきだ】」とも表記し,「日本紀私記」が「桃花鳥」を「ときとり」と訓み,「和名抄」が鳩【つき】の和名を豆木【つき】とし,さらに「日本紀私記云,桃花鳥」と注することから知られ,「桃花鳥坂」は「築坂」と同訓になる(橿原市史)現在の橿原市鳥屋町付近か




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7400780