100辞書・辞典一括検索

JLogos

8

生葉郡


天正15年の豊臣秀吉の九州仕置によって当郡は統一政権下に組み入れられ,秀吉は筑後国のうち2郡(生葉・竹野)を小早川隆景に与え,当郡もその支配下に置かれた。慶長3年隆景の子秀秋は越前国へ転封となり,その旧領は豊臣秀吉の蔵入地となり,代官石田三成の支配下に置かれた。しかし,同4年小早川秀秋は復領し,当郡は再び小早川秀秋領となる。同5年関ケ原の戦により小早川秀秋は岡山へ加増・転封されたため,代わって田中吉政が筑後国一円32万5,000石の領主として山門【やまと】郡柳川に入封し,当郡もその所領となった。この田中氏も元和6年に改易となり,御井郡久留米に有馬豊氏が21万石の大名として入部し,以後は明治維新に至るまで全郡が久留米藩領。村数と石高は,「寛文朱印留」では一円が久留米藩領で54村・1万2,675石余,「元禄国絵図」56村・1万2,675石余,「元禄郷帳」54村・1万2,675石余,「天保郷帳」54村・1万4,890石余,「旧高旧領」では59村・2万6,882石余で,すべて久留米藩領。所属する村名は,「天保郷帳」によると,朝田・溝尻・小坂・流川・延寿寺・屋形・吉井町・三牟田・橘田・小江・角間・古川・糸丸・長野・福久・徳丸・上宮田・下宮田・四太郎・今丸・若宮・国光・末永・三角・大・妹川・星野・田籠・新川・千代久・安富・屋部・隈上・山北・原口・大石・包末・溝口・国吉・金本・末石・稲崎・富光・安枝・夏梅・高田・今竹・菅・岩光・竹重・清宗・島・小塩・能楽の各村。久留米藩では領内を支配するための広域的な行政単位として大庄屋の管轄する組を置いたが,当郡には石井組・田代組があり,文化4年には石井組は朝田・東溝尻・西溝尻・小坂・流川・延寿寺・屋形・吉井町・三牟田・橘田・小江・角間・古川・糸丸・長野・福久・徳丸・上宮田・下宮田・四太郎・今丸・若宮・国光・末永・三角・大・妹川・星野・田籠・新川の30か村,田代組は千代久・安富・屋部・東隈上・西隈上・山北・東原口・西原口・大石・西大石・包末・溝口・国吉・金本・末石・稲崎・富光・安枝・夏梅・高田・今竹・菅・岩光・竹重・清宗・島・小塩・大野原開の28か村から構成されていた(農政農民史料集)。明治4年久留米県,三潴【みずま】県を経て,同9年福岡県に所属。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7438177