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浜砂谷村(近世)


江戸期~明治4年の村名肥後国球磨【くま】郡のうち米良山山中の1村銀鏡谷【しろみだに】村・登内谷村・杖立谷村と合わせて銀鏡と称することもあった九州山地中央部,竜房山の西麓,一ツ瀬川支流銀鏡川中流の山間地に位置する地名の由来については,33代米良石見守為重の入山にあたり,鈴木七郎民部少輔惟継が諸民を率いて迎え,当地で君臣の義を契り,征矢で大岩を貫いたといい,為重は肥後国阿蘇郡千里が浜の砂になぞらえて大岩の崩れた砂を手ずから惟継に与えてその門前に置き,諸民にその砂を踏ませて砂のある限り「浜砂」を氏とせよとした故にその時よりその地を征矢貫(現在は征矢抜)といい,その川下の地を浜砂と称し,鈴木氏も浜砂に改姓したと伝える(児湯郡郷土地理資料)肥後国人吉藩領ただし,人吉藩の付属ながら旗本交代寄合衆として5年ごとの参勤交代を勤めた米良氏が,幕府鷹巣山として支配していた「元禄郷帳」「肥後国誌」には村名は見えない村高は,「天保郷帳」では5石余寛政2年「肥後国球麻郡米良山郷村并人高帳」(西米良村史)によれば,総人数は66で,うち男27・女39と見える明治4年銀鏡村の一部となる現在の西都【さいと】市銀鏡の西部にあたる




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「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
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