山田(中世)

鎌倉期から見える地名薩摩国加世田別符のうち建久8年の薩摩国図田帳によれば,加世田別符100町のうち,公領75町内に「山田村二十町名主肥前国石居入道」とあるその後,延文6年卯月20日付沙弥道春(島津忠政)譲状に「薩摩国加世田別符内 一,山田・秋目・唐坊・久志・内浦」と見え,彦三郎公忠に譲られている(下野島津文書/早稲田大学所蔵文書下)また,永和元年10月1日付,明徳4年11月27日付両度の加世田別符半分坪付注文に「一やまたはんぶん」と見え,康永2年3月26日付足利尊氏下文によって伊作家島津氏に与えられた「加世田別符〈相模六郎時敏跡〉半分」のうちであった(伊作譜/旧記雑録)近世には内山田村と称されている

![]() | KADOKAWA 「角川日本地名大辞典(旧地名編)」 JLogosID : 7463584 |