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我部(近代)


 明治41年~現在の字名。はじめ羽地村,昭和21年屋我地村,昭和45年からは名護市の字。昭和6年大池原が行政区運天原となり,同26年地籍字となる。沖縄戦では,昭和19年の10・10空襲の際,米軍による今帰仁村運天港の海軍基地攻撃の余波を受け,さらに翌20年3月23日午前の空襲では,前垣浜一帯に次々と大型爆弾が落とされ,我部の平松の避難壕が直撃されて婦女子8名の死者を出した。戦前の主な産業は,製塩業のほか,米・サツマイモ・サトウキビ栽培を中心とする農業であった。戦後,製塩は衰退し,農業も大きく変貌を遂げる。昭和35年頃を境にして水田は消滅の一途をたどり,農業はサトウキビ単作になっていく。近年,我部地域を含む屋我地西部土地改良事業が進められ,農業は今後もサトウキビ作を中心に展開しようとしている。世帯・人口は,昭和45年87・329,同55年82・302。同年の就業者総数139うち第1次産業従事者76・第2次産業従事者20・第3次産業従事者43。




KADOKAWA
「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
JLogosID : 7464154