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「知識よりも知恵を出せ」


【名言・格言者】
安藤百福(日清食品株式会社創業者)

【解説】
 安藤百福(あんどうももふく)氏は、1910年、台湾(中華民国)に生まれました。小学校卒業後は祖父が経営する呉服店で働き、1932年、独立して繊維商社を設立しました。1933年、大阪市に繊維問屋会社を設立し、繊維貿易のほかに光学機器の製造などの事業を拡大させました。1948年、戦災で工場や事業所を失った安藤氏は、製塩業を手掛ける中交総社を設立しました(現日清食品株式会社。以下「日清食品」)。1958年、世界初の量産型インスタントラーメン「チキンラーメン」の商品化に成功し、その後も世界的ヒット商品である「カップヌードル」を開発するなど、インスタントラーメンを世界中に広めました(2007年逝去)。
 冒頭の言葉は、「知識は、単なる知識にとどめず、自らの力で知恵にまで高めなくてはならない」ということを表しています。
 1957年、安藤氏は、戦後の街で屋台のラーメン屋に多くの人々が並んでいた光景を思い出し、「お湯があれば家庭で簡単に食べることができるラーメン(インスタントラーメン)」の開発を思い立ちます。
 安藤氏は、自宅の庭に小屋をつくり、ただ一人でインスタントラーメンの研究を始めました。研究はすべてにおいて手探りで進められ、原料の配合やめんを油で均一に揚げる方法など、あらゆることが試行錯誤であり、失敗の連続でした。安藤氏は早朝から真夜中まで、1年間研究に没頭しました。そしてある時、妻が揚げていた天ぷらにヒントを得て、めんの油熱乾燥法を思いついたのです。
 安藤氏は、チキンラーメンの開発に成功したことについて、次のように述べています。

「失敗を繰り返しながら、しかし、少しずつ前進していることは分かっていた。その先のわずかな光を頼りに、進み続けるしかなかったのである」

 安藤氏はめんに関して全くの素人であり、何の知識も持っていませんでした。しかし、研究の過程において、考えられる方法を一つずつ試し、その結果をさらに次の実験にフィードバックすることを続けました。
 このようにして獲得された膨大な量の知識は、安藤氏の努力と体験によって体系化されて知恵となり、成功という形で結実したのです。後に、安藤氏は「カップヌードル」の開発においても、「チキンラーメン」の開発で得た知識を基に、最も効率的なめんの揚げ方を発明します。
 知識は持っているだけではなく、知恵として活用することが重要です。そして、知識を知恵に転換する第一歩は「考えて、考えて、考え抜くこと」なのです。
【参考文献】
「インスタントラーメン発明王 安藤百福かく語りき」(安藤百福、中央公論新社、2007年2月)
「私の履歴書 経済人36」(椎名武雄、樋口廣太郎、稲盛和夫飯田亮安藤百福、日本経済新聞社、2004年6月)




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「経営のヒントとなる言葉50」
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