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「常識とは、十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう」


【名言・格言者】
アルベルト・アインシュタイン(物理学者)

【解説】
 アルベルト・アインシュタイン氏は、1879年、ドイツに生まれました。1900年にスイスのチューリッヒ連邦工科大学を卒業後、代理教師などを経てスイス特許庁に就職します。1905年、博士号を取得するべく「特殊相対性理論」に関する論文を発表し、科学界に大きな衝撃を与えました。その後、1912年にチューリッヒ連邦工科大学の教授に就任し、1916年には「一般相対性理論」を発表します。1921年にはノーベル物理学賞を受賞し、後に活動の場を米国に移して研究を続けました。特殊相対性理論および一般相対性理論はその後の科学に多大な影響を与え、20世紀最大の理論物理学者と評されています(1955年逝去)。
 冒頭の言葉は、「一般に『常識』と思われているものごとの多くは、実は偏った考えに基づいている可能性がある。独創的な発想をするためには、常識を一度疑ってみることも必要である」ということを表しています。
 大学を卒業したアインシュタイン氏は、特許庁に勤務しながら研究を続け、特殊相対性理論を発表しました。これは、端的にいえば「時間や長さは常に絶対的なものではなく、それを見る立場によって異なる(相対的なものである)」というものです。
 当時の常識では、「1秒という時間の長さやものさしの1センチメートルという長さは、誰にとっても同じである」と考えられていました。しかし、アインシュタイン氏はこの常識を否定し、例えば高速で移動するロケットから外の時計やものさしを見るとき、外の時計はロケットの中の時計よりもゆっくりと進み、また外のものさしはロケットの中のものさしよりも短く見えると説きました。
 このような発想は従来の常識から大きくかけ離れているため、当初は多くの人々から受け入れられませんでした。しかし、やがて優れた科学者たちがアインシュタイン氏の理論の正当性を認めるようになるにつれて、ようやく多くの人々に受け入れられるようになりました。
 その後、アインシュタイン氏は、特殊相対性理論に続いて一般相対性理論を発表します。これらの2つの論理は総称して「相対性理論」と呼ばれ、その後の自然科学全般におけるさまざまな分野に極めて大きな影響を与えることとなりました。
 アインシュタイン氏が発表した特殊相対性理論は、実は彼が16歳のときに考えた想像上の実験(思考実験)から生まれたものであるとされています。
 アインシュタイン氏は、自身の業績について次のように述べています。

「わたしには、特殊な才能はありません。ただ、熱狂的な好奇心があるだけです」

 幼いころ、アインシュタイン氏は両親にコンパス(方位磁石)を買ってもらい、その針が常に北と南を指すことを非常に不思議に思っていました。一般の人にとって、コンパスの針が常に北と南を指すことはいわば常識です。しかし、アインシュタイン氏はそれを当たり前とはとらえませんでした。アインシュタイン氏はこのことに強い好奇心を持ち、「何か見えない力が、針を一定方向に向けさせている」と考えました。こうした強い好奇心がアインシュタイン氏にとって自然科学への関心のきっかけとなり、ひいては後の相対性理論という人類的な大発見につながったのです。
 人間は、経験を重ねるにつれて多くの常識を身に付けていきます。こうした常識は、もちろん生活を送っていく上で重要なものです。しかし、独創的な発想をする際には、逆に常識が足かせになってしまうことがあります。アインシュタイン氏は、強い好奇心を持ち続けたために、常識を破る独創的な発想をすることができたのです。
 さまざまな事柄に遭遇した際に、経験や常識で解決することは重要です。しかし、ときとして常識では対処できないこともあるかもしれません。そういうときにこそ、常識にとらわれず、自身の好奇心に従って深く思考する必要があるのです。アインシュタイン氏の言葉は、時には常識を捨てる勇気を持つことの重要性を説くものだといえるでしょう。
【参考文献】
「アインシュタイン150の言葉」(ジェリー・メイヤー、ジョン・P・ホームズ(編)、ディスカヴァー21編集部(訳)、ディスカヴァー・トゥエンティワン、1997年4月)
「アインシュタインの生涯」(C・ゼーリッヒ(著)、広重徹(訳)、東京図書、1974年1月)




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「経営のヒントとなる言葉50」
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