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「変えないことが一番悪い」


【名言・格言者】
奥田碩(トヨタ自動車株式会社元取締役社長)

【解説】
 奥田碩(おくだひろし)氏は、1932年、三重県に生まれました。1955年に一橋大学を卒業後、トヨタ自動車販売株式会社(現トヨタ自動車株式会社。以下「トヨタ自動車」)に入社しました。その後、常務取締役(1987年)、専務取締役(1988年)を経て、1992年には取締役副社長に就任しました。そして、1995年、創業家である豊田一族以外からの初の取締役社長に就任しました(2009年まで相談役)。
 冒頭の言葉は、「企業において、絶えざる改革こそが最も重要である」ということを表しています。
 奥田氏が社長に就任した当時、トヨタ自動車は海外展開において他社に水をあけられ、また国内のシェアは40%を割り込むなど、経営は危機的な状況に向かいつつありました。それにもかかわらず、社内には危機感がなく停滞ムードに包まれるという、いわゆる「大企業病」に陥っていました。このような状況に際し、奥田氏は1995年8月、社長就任後の所信表明において次のように述べています。

「これからのトヨタは何も変えないことが最も悪いことだと思ってほしい。トライ・アンド・エラーで構わない。果敢に挑戦した事実に対し、正当な評価をしていきたい」

 この言葉の通り、奥田氏は、社長就任後、まず北米などへの工場進出により海外展開を加速しました。そして、世界的な自動車業界の再編が進む中、グループ企業であるダイハツ工業と日野自動車の子会社化に踏み切るなど、グループ企業全体での経営資源を有効活用することで、トヨタ自動車グループの競争力強化を図りました。
 奥田氏は、「『ここは日本だから』という言葉を使った時点で、もうできないということと同じ。グローバルスタンダードを目指そうとする改革を放棄したことになる」という言葉からもうかがえるように、世界展開を視野に入れ、それまでの「三河のトヨタ」から、「世界のトヨタ」への転換を図りました。
 また、組織としてのトヨタ自動車に対しても、課長級以上を対象として「入社年次を問わない考課・昇格」「能力主義の徹底」「統廃合などによる部の削減と分社化の推進」など、大胆な組織・人事改革を行いました。
 奥田氏は、「変わるリスクよりも変わらないリスクのほうがはるかに大きい」と考えています。そして、「変わるきっかけは危機感からしか生まれない」といいます。奥田氏が示し続けた「常に危機感を持ち、挑戦者として挑み続ける攻めの姿勢」は、現在のトヨタ自動車にも着実に引き継がれています。
【参考文献】
「奥田イズムがトヨタを変えた」(日本経済新聞社(編)、日本経済新聞社、2004年5月)
「グローバル経営者の時代 世界経営者会議 日本企業は勝ち残れるか」(日本経済新聞社(編)、日本経済新聞社、2000年3月)




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「経営のヒントとなる言葉50」
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