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「失敗を重ねていくしかない。そのなかで、勘が養われる」


【名言・格言者】
田中耕一(ノーベル化学賞受賞者)

【解説】
 田中耕一(たなかこういち)氏は、1959年、富山県に生まれました。1983年に東北大学を卒業後、株式会社島津製作所(以下「島津製作所」)に入社しました。1985年、従来不可能とされていた「タンパク質の分子を分解しないイオン化」に世界で初めて成功し、2002年には企業に勤めるビジネスパーソンとしては初のノーベル化学賞を受賞しました(受賞理由は「生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発」)。2003年、田中耕一記念質量分析研究所所長に就任し、現在は研究を続けるかたわら、国内外のさまざまな学会などで講演活動を行っています。
 冒頭の言葉は、「たとえ失敗を重ねたとしても、それは無駄にはならない。失敗から得た経験は必ず知識として自分のものとなる」ということを表しています。
 島津製作所において、田中氏は、生物の構成成分であるタンパク質の重さをレーザーで計測・分析する機器の開発に取り組んでいました。分子量が小さい化合物は、レーザーを当ててイオン化し、質量を分析することができます。しかし、タンパク質のように分子が大きい物質にレーザーを当てると、熱で分子が分解されてしまいます。このため、当時、レーザーでタンパク質をイオン化することは不可能であると考えられていました。
 そのような中、田中氏たちのプロジェクトチームは、「分子量1万の試料のイオン化」という、当時の常識を超えた目標を掲げました。田中氏たちは、試行錯誤を重ねた末、タンパク質にレーザーを吸収しやすい金属微粉末と溶媒を混ぜて分解を防ぐ方法を思い立ちました。しかし、その後実験を重ねるものの期待した結果は得られず、研究は暗礁に乗り上げてしまいました。
 そんなあるとき、田中氏は、実験中に誤ってほかの実験で使用するための溶媒を混ぜてしまいました。普通なら調合に失敗した試料は捨ててしまいますが、もったいないと思った田中氏は、その試料を分析してみました。すると、いつもとは異なる結果が得られており、さらにそのデータを子細に調べてみると、分子が分解されないままイオン化されていることが判明しました。こうして成功のきっかけをつかんだ田中氏たちはその後も研究を重ね、ついに当初の目標をはるかに上回る成果を上げることができました。
 田中氏が異なる溶媒を混ぜてしまったのは偶然ですが、その後、分析の結果から成功のきっかけをつかんだのは偶然だけでなく、田中氏が失敗を重ねてきたおかげだといえます。これまで失敗を繰り返しつつも地道に実験を積み重ねてきたことにより、田中氏には、ある種の「勘」が身に付いていました。このため、分析の結果がいつもと異なっていることに気づき、そして、その結果に「成功の気配」を感じ取ることができたのです。
 また、田中氏は大学では電気工学を専攻しており、化学に関しては専門外でした。しかし、だからこそ失敗を恐れず、経験や常識にとらわれずに大きな目標を掲げ、何でもやってみようという気持ちになれたのです。田中氏は次のように述べています。

「新しいことをする場合には、失敗がつきものです。一度失敗したからといって、それですべてが終わり、ということにはなりません」

 これまでにない新しいことをやる以上、失敗は避けられません。失敗を「当然」として、その失敗から積極的に何かを学んで果敢に挑戦し続ける姿勢は、科学者のみならず経営者にも求められるものだといえるでしょう。
【参考文献】
「生涯最高の失敗」(田中耕一、朝日新聞社、2003年9月)
田中耕一という生き方」(黒田龍彦、大和書房、2003年1月)




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「経営のヒントとなる言葉50」
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