100辞書・辞典一括検索

JLogos

24

「何を始めるにしても、ゼロからのスタートではない」


【名言・格言者】
ハーランド・サンダース(ケンタッキー・フライド・チキン創業者)

【解説】
 ハーランド・サンダース氏は、1890年、米国に生まれました。中学校を中退し、農場の手伝いや市電の車掌などの職を経て、1930年にケンタッキー州にガソリンスタンドをオープンしました。このガソリンスタンドに併設されたレストランのフライドチキンは大きな人気を集め、1952年、サンダース氏は「独自のノウハウを提供してロイヤルティーを得る」という世界初のフランチャイズシステムを取り入れ、その後は本格的にフライドチキンの販売に進出し、世界的なフライドチキンチェーンをつくり上げました(1980年逝去)。
 冒頭の言葉は、「たとえ失敗や無駄だと思われるものであっても、経験したことは、何かをなす場合において必ず役に立つ」ということを表しています。
 1920年代後半、サンダース氏はケンタッキー州にガソリンスタンドを開業しました。モータリゼーションの進展に加え、顧客への徹底したサービスを実践することで、サンダース氏のガソリンスタンドは繁盛しました。しかし、1929年に発生した世界恐慌の影響によって経営は壊滅的な危機に陥り、その結果、サンダース氏はガソリンスタンドを手放すこととなりました。
 しかし、サンダース氏は挫折に悲観する間もなく、翌1930年には再びガソリンスタンドを開業しました。サンダース氏は、旅行者の多くが空腹でガソリンスタンドにやってくることに目をつけ、ガソリンスタンドに簡単な料理を提供する小さなレストラン「サンダース・カフェ」を併設しました。サンダース・カフェは清潔さと料理の美味しさで旅行者の人気を集めました。
 ところが、1939年、サンダース・カフェは不慮の火災により焼失してしまいました。サンダース氏は10年近くの年月をかけてつくり上げてきた財産を一夜にして失いましたが、この逆境の中で「自身には、サンダース・カフェの味と、それを慕ってくれる顧客がいる」ということに気づき、1941年、サンダース・カフェを再建しました。
 その後、再建したサンダース・カフェは以前にもまして繁盛しましたが、やがてサンダース・カフェから離れた場所に新しくハイウェーが建設されたことに伴い、人や車の流れが大きく変化し、サンダース・カフェの客数は激減してしまいました。その結果、1956年にサンダース氏はサンダース・カフェを手放すことを余儀なくされます。すなわち、サンダース氏は、65歳を過ぎてこれまで築き上げてきた財産のほとんどすべてを失ってしまったのです。
 しかし、サンダース氏はそれでも希望を捨てませんでした。サンダース氏は、次のように述べています。

「たとえどんな困難が待っていようとも、私はあきらめない。今までがそうであったように、これからも何度でも立ち上がる」

 この言葉の通り、65歳のサンダース氏は、中古の自動車にスパイスと圧力釜を積み、車の中で寝泊まりしながら1000軒以上ものレストランを訪ねて回りました。そして、行く先々のレストランでフライドチキンを揚げてみせ、フランチャイズ契約を結んでくれるレストランを一軒ずつ獲得していきました。やがて、サンダース氏のフライドチキンの美味しさはレストランオーナーの間でも評判となり、1年目には7軒だった契約レストランは、開始から4年後の1960年には米国で200軒を超え、現在では世界中に店舗を展開しています。
 サンダース氏は、人生において数々の挫折を経験してきました。しかし、挫折するたびに必ずそこから何かを学んで立ち上がりました。数々の挫折の経験は、サンダース氏にとって貴重な財産として大いに役立ったのです。
 挫折は確かに厳しいものです。しかし、そこには次の成功をつかむためのエッセンスが込められています。挫折の経験を生かし、それをバネとして次の挑戦に飛躍できるかどうかが、経営者にとってさらに大きく成長する上での重要なポイントといえるでしょう。
【参考文献】
「カーネル・サンダース 65歳から世界的企業を興した伝説の男」(藤本隆一、産能大学出版部、1998年9月)




(c)日経BP社 2010
日経BP社
「経営のヒントとなる言葉50」
JLogosID : 8516422