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「新しい産業には、かならず『予兆』があるという」


【名言・格言者】
大川功(株式会社CSK創業者)

【解説】
 大川功(おおかわいさお)氏は、1926年、大阪府に生まれました。1948年に早稲田大学を卒業後、会計事務所勤務やタクシー会社の共同経営などを経て、1968年、コンピューターサービス株式会社を設立しました(現株式会社CSK(以下「CSK」))。大川氏は、情報サービス産業における先駆的経営者として積極的に事業を展開し、さまざまな企業を傘下に収めて一大情報サービス産業グループを形成するに至りました(2001年逝去)。現在、CSKのグループ企業は30社以上に上り、持株会社である株式会社CSKホールディングスの下に、情報サービス事業・金融サービス事業・証券事業・プリペイドカード事業など、ビジネスにおける総合情報サービスプロバイダーとして幅広い分野において事業を展開しています。
 冒頭の言葉は、「これから伸びるビジネスには、必ず何らかの『予兆』が感じられる。その『予兆』を見逃すな」ということを表しています。
 大川氏は、会計事務所に勤務していた時、日本IBM社の営業担当者を通じてパンチカードシステム(コンピューターの前身となる情報処理システム)に遭遇し、大変強い衝撃を受けました。当時、米国において、パンチカードシステムは既に会計事務所や企業などで広く使われていました。大川氏は、瞬間的に「このような情報処理システムはこれから日本でも伸び、大きな商売に発展するのではないか」という「予兆」を感じ、このことが後のコンピューターサービス株式会社設立のきっかけとなったのです。
 「予兆」は、感じるだけでは単なる「予兆」のままで終わってしまいます。大川氏は、冒頭の言葉の後にこのように続けています。

「その『予兆』を逃さずにとらえ、これを命がけで事業化しようとする人に対して、天は『時流』という恩恵を与え、そして『使命』という社会的責任を負わせるのだと思う」

 大川氏がコンピューターサービス株式会社を設立した当時、ソフトウエア会社のほとんどが大型汎用コンピューターメーカーの子会社や孫会社でした。これらの企業は親会社から優先的に関連業務を回してもらっているため、全くの独立系企業であるコンピューターサービス株式会社にとって、市場への新規参入は困難を極めました。大川氏は、経営が軌道に乗るまでの間、自身の報酬を返上して社員の給料やボーナスに充て、昼は営業、夜はシステムの設計と、身を粉にして経営に取り組みました。このような、文字通り命がけの努力が、情報サービス産業という新しい産業を確立させたのです。
 大川氏が感じた「予兆」通り、その後コンピューターは急激に進歩し、パソコンやインターネットの普及によって世界中の「人々の生活」「産業」「文化」を大きく変えることとなったのは周知の事実です。
 ビジネスチャンスにつながる芽は、さまざまな場所に存在しています。その中から「予兆」につながるものを敏感に見抜き、それをとらえてビジネスの形にするまで離さない執念こそ、新たなビジネスの創造に欠かせない姿勢であるといえるでしょう。
【参考文献】
「予兆 情報世紀をひらく」(大川功、東洋経済新報社、1996年12月)




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「経営のヒントとなる言葉50」
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