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「幹部はえらい人ではなく、つらい人だと知れ」


【名言・格言者】
土光敏夫(元石川島播磨重工業株式会社社長)

【解説】
 土光敏夫(どこうとしお)氏は、1896年、岡山県に生まれました。1920年に東京高等工業学校(現東京工業大学)を卒業後、株式会社東京石川島造船所(後の石川島重工業株式会社。以下「石川島重工業」)に入社しました。1950年、経営危機にあった石川島重工業の社長に就任して再建に取り組み、1960年には同社と株式会社播磨造船所を合併させて石川島播磨重工業株式会社を発足し、初代社長に就任しました。その後、1965年には東京芝浦電気株式会社(現株式会社東芝。以下「東芝」)の再建を依頼されて社長に就任し、徹底した合理化により同社の再建に成功しました(1988年逝去)。
 冒頭の言葉は、「企業の幹部は、自身が担うべき責任の重さを十分に認識しなくてはならない」ということを表しています。
 土光氏の経歴には、一貫して「再建」「改革」というキーワードがついてまわります。土光氏は持ち前の強力なリーダーシップと実行力を買われ、数々の再建や改革に携わってきました。例えば、石川島重工業の社長に就任した際、土光氏はまず役員の報酬の大幅なカットを行い、経営陣が率先垂範して再建に取り組む姿勢を打ち出しました。また、東芝の社長に就任した際には次のように発言しました。

「社員はこれまでの3倍頭を使え。重役は10倍働く。社長の私はそれ以上に働く」

 土光氏は、「チャレンジ・レスポンス(挑戦と反応)」として、社員に対して挑戦的に計画達成についての説明を求め、社員はそれに素早く回答するという仕組みを導入しました。これにより、社員も重役も各自の責任を自覚し、組織は目覚しく活性化しました。そして土光氏自身も、常に率先垂範をモットーとして、休日返上で毎日早朝から深夜まで会社に詰め、経営再建に取り組みました。
 土光氏には、持ち前の合理主義や、その質素な生活の様子から「ミスター合理化」「メザシの土光さん」などのあだ名がつけられています。その中でも広く知られたものとして「信念の人」というあだ名があります。このあだ名は、土光氏が常に信念をつらぬき、経営に取り組んだ姿勢を表しています。
 「経営者や幹部は、割に合わない商売である。しかし、それくらいでなくては、これからの企業をあずかる資格はない」ということが、土光氏の一貫した信念であり、土光氏は常にこの信念に基づき経営に取り組んできました。土光氏の言葉は、経営に対する強い責任を表す信念として、すべての経営者にとって値千金の重みを持つものといえるでしょう。
【参考文献】
「経営の行動指針 土光語録」(本郷孝信(編)、産能大学出版部、1996年3月)
「私の履歴書 経済人20」(戸田利兵衛、川村勝巳、野田岩次郎、大野勇、土光敏夫、山田徳兵衛、日本経済新聞社、1986年11月)




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「経営のヒントとなる言葉50」
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