経営ヒント格言 5.ビジネスに向き合う姿勢 51 「アイデアの良い人は世の中にたくさんいるが、良いと思ったアイデアを実行する勇気のある人は少ない。 【名言・格言者】盛田昭夫(ソニー株式会社創業者)【解説】 盛田昭夫(もりたあきお)氏は、1921年、愛知県に生まれました。1944年に大阪帝国大学(現大阪大学)を卒業後、技術将校として海軍に勤務していた際に井深大氏と出会い、戦後に井深氏が設立した東京通信研究所を訪ねて共同で事業を行うことを決めました。1946年、東京通信工業株式会社(現ソニー株式会社。以下「ソニー」)の設立に伴い同社の取締役に就任しました。1960年、ソニーが米国に設立した現地法人ソニー・コーポレーション・オブ・アメリカの代表取締役社長に就任して米国でソニー製品の販売拡大に尽力し、その後、1971年にはソニー社長に、1976年にはソニー会長に就任しました。優れた技術者でありながら卓越した営業の手腕を発揮し、共同創業者である井深氏とともに、ソニーを世界的な企業に育て上げました(1999年逝去)。 冒頭の言葉は、「優れたアイデアは、必ず形にするという信念を持って取り組むことこそが重要である」ということを表しています。 ソニーの前身である東京通信工業株式会社は、「大会社ではできないことをやり、技術の力をもって祖国復興に役立てよう」という信念のもとに誕生しました。そして、その信念の通り、日本初のテープレコーダーやトランジスタラジオなど、次々に画期的な商品を開発しました。これらの陰には、不可能と考えられていたアイデアを可能とするための、盛田氏をはじめとする社員のひたむきな姿勢がありました。そして、その姿勢は、後のソニーにも脈々と受け継がれています。 1979年、ソニーは、携帯型ステレオカセットプレーヤー「ウォークマン」を発売しました。ウォークマン誕生のきっかけとなったのは、井深氏のある一言でした。 井深氏は、海外出張に出かける際、教科書サイズのステレオ録音機とヘッドホンを携帯し、飛行機内で音楽を楽しんでいました。しかし、このステレオ録音機は重く、持ち運びが困難でした。そこで、当時ソニーが販売していた手のひらサイズの小型モノラルタイプテープレコーダー「プレスマン」にステレオ回路を入れることを依頼したのです。 担当者は、早速プレスマンから録音機能を取り去り、ステレオ再生が可能なように改造しました。完成した改造型プレスマンを試聴した盛田氏は、その音質のよさに驚くと同時に、「これはビジネスとして成功する」と直感しました。 1979年2月、盛田氏は本社の会議室に、電気や機械設計のエンジニア・企画担当者・宣伝担当者・デザイン担当者などの若手社員を集め、改造型プレスマンを若者向けヘッドホン付き再生専用機として商品化することを発表しました。 しかし、開発がスタートした後も、盛田氏のもとには、営業を担当する関連会社からの「録音機能が付いていない再生だけの機械が売れるはずがない」「ヘッドホンで音楽を聴くことは顧客には受け入れられない」といった反対意見が次々と寄せられました。その都度、盛田氏は「自分がどれだけこの新商品を評価しているか」について熱弁を振るい、最後には自身の進退を懸けてまでこれらの人々の説得に努めました。 盛田氏は、冒頭の言葉に続けて次のように述べています。「それはよい考えだとなったら多少の無理はあってもよいから、それをいかにしてやるかを考える。それがソニーの方針である」 こうして、1979年7月、盛田氏の熱意と開発スタッフの満身の努力によって世界初の携帯型ステレオカセットプレーヤー「ウォークマン」が完成しました。ウォークマンは、発売直後こそ大きな動きがみられなかったものの、やがて若者を中心として爆発的に売れ始めました。そして、海外でも一大ブームを巻き起こし、ソニーの名を世界中に知らしめる大ヒット商品となりました。 かつて、ソニーが新聞に出した有名な求人広告に、「『出るクイ』を求む!」というものがありました。これは、求人広告としては例をみない斬新なものです。しかし、この言葉こそ、アイデアを実行する勇気を求める盛田氏、そしてソニーの理念が色濃く表されているといえるでしょう。【参考文献】「最高の報酬 お金よりも大切なもの 働く人の名言集」(松山太河(編著)、英治出版、2001年11月)「メイド・イン・ジャパン わが体験的国際戦略」(盛田昭夫ほか(著)、下村満子(訳)、朝日新聞社、1987年1月)「ソニー自叙伝」(ソニー広報センター(著)、ワック編集部(編)、ワック、1998年3月) (c)日経BP社 2010 日経BP社「経営のヒントとなる言葉50」JLogosID : 8516438