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「世の中の変化に応ずることも大切だが、変化の中で不変のものもあるということだ」


【名言・格言者】
根津嘉一郎(元東武鉄道株式会社社長)

【解説】
 根津嘉一郎(ねづかいちろう)氏は、1913年、東京都に生まれました。1936年に東京帝国大学(現東京大学)を卒業した後、父親である初代根津嘉一郎氏が社長を務める東武鉄道株式会社(以下「東武鉄道」)に入社し、1941年、社長に就任しました。以後、1994年に会長に就任するまで、強力なリーダーシップで同社の経営を指揮しつつ他業種への進出を図り、東武グループの多角化を推進しました(2002年逝去)。
 冒頭の言葉は、「変化に応じて変えなくてはならないものと、本質となる不変のものを見極め、それに沿った経営を行わなくてはならない」ということを表しています。
 東武鉄道入社後、社長秘書を務めていた根津氏は、社長であった初代根津氏の逝去によって急きょ取締役として経営陣に加わり、1941年には27歳という若さで東武鉄道の社長に就任することとなりました。初代根津氏は「質実剛健」を座右の銘としていました。根津氏は父親のこの教えを経営に受け継ぎ、堅実な経営を心がけました。
 1945年、日本が終戦を迎えたとき、東武鉄道は戦争により甚大な被害を受け、交通機関としての機能はまひしていました。社長に就任してわずか4年目の根津氏は、被害の大きさに暗たんたる思いでしたが、日本の復興には輸送手段の確保が不可欠であると考え、質実剛健の精神で戦災を受けた鉄道の復旧に専心しました。
 1955年、根津氏は、「貨物列車の全線電化」「鉄道事業の収益向上」「沿線の観光開発」「自動車事業の収益向上」などの目標からなる「第一次5か年計画」を発表しました。鉄道事業における投資は巨額であるため、一歩間違うと過剰投資となり、企業存続の危機につながりかねません。しかし、輸送需要の増加に見合うだけの投資をしなければ、旅客や貨物を他社に奪われてしまいます。このため、輸送需要や乗客のニーズの将来的な変化をできる限り正確に予測し、それに見合った投資を、適正な時期に適正な規模で実施していくことが肝要となります。
 終戦から10年の間、東武鉄道は鉄道の復旧のみを念頭に置き、長期的な視点に立って経営計画を考える余裕はありませんでした。しかし、1954年後半から景気は上向きとなり、輸送需要や乗客のニーズは大きく変化しようとしていました。根津氏は、この時期こそ長期経営計画を立案、実行する機会であるととらえたのです。
 こうして、総額130億円という巨額の資金を投資する第一次5か年計画がスタートしました。全社一丸となっての取り組みによって第一次5か年計画は順調に推移し、所期の目標をほぼ達成することができました。その後も根津氏は輸送力を強化しつつ関連事業に積極的に進出して多角化を進め、住宅・流通・レジャー・交通など多様な事業を擁する東武グループを形成しました。
 根津氏は、53年という異例の長期にわたって東武鉄道の舵とりを行いました。その経営に一貫して見受けられるのは、時代のニーズという変化に対応して多角化を図りつつも、鉄道事業という本業に専心することを変えない姿勢です。根津氏が第一次5か年計画を発表した当時、同業他社は不動産開発を活発化していました。しかし、根津氏は、鉄道本来の使命である輸送力増強と保安度の向上を第一とし、その充実に向けて精力を傾けました。これは、根津氏の「鉄道事業は、社会の要請にこたえる公共的なサービス業である」という理念に基づくものです。
 その一方で、根津氏は、東武グループの事業に関して、「飛躍できるときにこそ飛躍したい」とも述べています。この言葉からは、質実剛健を旨としながらも、同時に変化することを恐れず、東武グループ全体の飛躍を狙う強い意欲がうかがえます。
 ビジネスにおいて、もちろん、環境の変化に応じて変えなくてはならないものは存在します。しかし、本質となる部分は不変であり、変えることができません。目まぐるしく変化する環境に身を置く現代の経営者にこそ、根津氏が説く

「変えるものと変えないものを見極める眼力」と「変える勇気、変えない勇気」という2つの資質が必要とされている

といえるでしょう。
【参考文献】
「経済人の名言 勇気と知恵の人生訓 下巻」(堺屋太一(監修)、日本経済新聞社(編)、日本経済新聞社、2004年12月)
「東武鉄道百年史」(東武鉄道社史編纂室(編)、東武鉄道、1998年9月)




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「経営のヒントとなる言葉50」
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