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- 中清とは
「中清」の関連ワード⇒ 明神下 神田川本店 神田きくかわ 神田店 なかや蒲焼店
- 中清【なかせい】
- 名物は雷神揚げ
幕末に駿河国から上京した初代・中川鉄蔵氏は、雷門通りに開いた天ぷらの屋台から身を起こし、明治3年(1870)浅草寺の近くに中清の看板を上げた。以来130年余にわたり同じ場所で商いをつづけ、当主で6代目を数える。戦後に建てられた建物は重厚な蔵造り。12ある個室はすべて落ち着いた数寄屋造りで、池のある中庭を囲み、離れのように配されている。
天ダネに野菜は使わず、海老、穴子、きす、めごちなど魚介を胡麻油だけで揚げる天ぷらはまさに江戸前。名物雷神揚げの、厚さ5~6㎝、直径12~13㎝という大きさも江戸っ子好みだ。
これは芝海老と青柳の貝柱を使ったかき揚げで、名付け親は仏文学者の辰野隆氏。雷門の雷神が背負っている雷太鼓に、その形が似ていることから命名したという。
土地柄も手伝ってか店の馴染み客には作家や風流人、落語家、漫才師、役者などが多く、永井荷風は大正元年(1912)に発表した小説『新橋夜話』にこの店を登場させている。
[最終更新日:2013-12-06/JLogosid:14070777]
関連項目:
明神下 神田川本店 神田きくかわ 神田店 なかや蒲焼店
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中清水町(近世) 江戸期~明治17年の町名奈良町に隣接する興福寺領清水村内に形成された町場の1つで,奈良町の1町として町の扱いをうけるようになった興福寺成身院の寺社下町の1つ奈良町の南方触口支配に属する奈良町の南部に位置し,下清水町の東,上清水町の西に接する東西通りの街区地名の由来は,「奈良坊目拙解」によると,古く清水【せいすい】寺という寺があったからとも,また清水井という井戸があって往来の人馬がここで休み清水を飲んでいたのにちなむともいわれるなお中は下清水と上清水の中間の意また同書は,寛永年間に民家ができたかと記す元禄2年の家数28,竈数45うち大家28・借家17,享保14年の役家数28,家数33,竈数41うち大家33・借家8(奈良市史通史3)宝永年間町代高木又兵衛諸事控には,質屋のかわや小三郎・善右衛門,それに米屋1軒が見える(県立図書館藤田文庫)また嘉永3年の奈良酒造家録には,横田屋九兵衛の酒造高320石と見える(京都大学図書館蔵)北側東門限には石像地蔵堂があるまた北側人家の背後には「樹木畑」があり,これを大乗院殿車道といい,成身院支配地となっている(奈良坊目拙解)北天満町の天満天神宮氏子区域(同前)明治17年高畑村に編入現在の奈良市高畑町のうち通称中清水町にあたる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
中清戸村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
中清水村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
中清戸【なかきよと】 江戸初期に清戸村が上・中・下に分村成立... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
中清水【なかしみず】 久保川下流域に位置する... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
中清戸(近代) 明治22年~現在の大字名・町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
中清水【なかしみず】 (近代)昭和25年~現在の大字名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
中清水(近代) 明治22年~現在の大字名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
中清水村 ⇒堀名中清水【ほりめなかしみず】【なかしみずむら】 →堀名中清水【ほりめなかしみず】... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」