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![]() | 群馬郡 藤原宮跡出土木簡銘(木簡研究5)によれば,「上毛野国車評桃井里大贄鮎」とあり,評制のもとでは「車」の表記がなされていた |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 群馬郡 車馬郡とも書いた(元亨3年2月18日の年紀を有する榛名神社鉄灯炉/上毛金石文年表)... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 群房荘【ぐんぼうのしょう】 (中世)平安末期~室町期に見える荘園名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 群房荘(中世) 平安末期~室町期に見える荘園名安房国のうち「へぐりあわのしょう」とも訓み,郡房荘とも書く養和元年12月8日付後白河院庁下文案に「安房国 郡房庄」とあるのが初見(新熊野神社文書/平遺4013)同文書によれば,当荘は永暦年間に後白河院から仏聖灯油料として新熊野社に寄進されたもので,この時改めて勅事・院事・国役以下の課役が免除されることになった新熊野社は領家で,本家は五辻斎院(鳥羽皇女・頌子内親王)預所は平基親であったが,養和元年冬改替されて藤原定経が任じられ,寿永2年7月17日,後白河上皇院宣によって再度基親に給された(多聞院文書/県史料県外)鎌倉初期の建久6年,領家新熊野社は地頭の年貢対捍を幕府に訴え,幕府は地頭を一旦罷免することを決定しているが,当時の当荘地頭については未詳(吾妻鏡建久6年7月24日条)その後,建長2年に預所職は平氏女(平基親一族か)から尼性智,さらに鎌倉後期には性智から大納言局に譲与された(多聞院文書建長2年12月29日付後嵯峨上皇院宣・相州文書弘安3年5月5日付亀山上皇院宣/県史料県外)鎌倉初期から当荘内広瀬郷は上賀茂社領として別に伝領されたが,鎌倉後期には広瀬郷を除く部分が東西に分割され,群房東西荘と総称された鎌倉末期の応長~正和年間,領家新熊野社は群房西荘の検注を企てたが,地頭の抵抗があったらしく,実施は困難であった(鎌倉市立図書館文書応長元年8月24日付関東御教書・正和6年正月12日付関東御教書/同前)南北朝期には,貞和2年5月24日,北朝の光厳上皇が当荘を新熊野社に安堵し(多聞院文書/同前),ついで応安元年頃,熊野社から「安房国郡房庄ノ内東西両庄」が遍照院内大臣僧正頼印に譲渡され(頼印大僧正行状絵詞/続群9上),やがて,鶴岡八幡宮の管領するところとなったしかし,一方,当荘の知行権は初代鎌倉公方足利基氏の管掌するところでもあったらしく,貞治6年に当荘は基氏の遺命によって鎌倉瑞泉寺に寄進されている(空華日用工夫略集貞治6年4月26日条)応永2年,遍照院雑掌聖信と瑞泉寺は群房西荘領家職をめぐって相論したが,鎌倉府の裁許によって聖信の勝訴となり下地は鶴岡八幡宮雑掌に付されたこの時,鎌倉府の使節となったのは,近隣の豪族丸富益であった(瑞泉寺文書応永2年10月2日付鎌倉府奉行人奉書・相州文書同年11月29日付丸富益打渡状/県史料県外)また,応永25年10月20日付将軍足利義持御教書によれば,一時,今川範政が当荘を充行われたこともあったらしい(今川家古文章写/神奈川県史資料編3上)荘域は未詳であるが,現在の三芳村御庄は当荘の遺称かといい,また,荘内広瀬郷は館山市広瀬に比定される当荘名は律令制の平群【へぐり】郡・安房郡に由来し,両郡の郡界付近に両郡域の一部を分割して成立したものと考えられる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 群馬郡 上野国内最大の郡で,天正18年徳川家康の関東入部後,前橋藩・高崎藩が立藩した... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 群馬用水【ぐんまようすい】 赤城山・榛名(はるな)山・子持山の山麓における大規模な農業用水... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 群馬県【ぐんまけん】 (近代)①明治4~6年の県名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 群馬大橋【ぐんまおおはし】 利根川に架かる橋... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 群島水域 群島(多くの島が相互に接近して存在し、自然の地理学上の単位をなしているもの)が歴史・地理・経済・政治・社会・文化などの要因に基づいて密接な単一体をなしている場合、個々の島についてではなく全体としての群島の最も外側の島を結ぶ直線基線から領海などを測り、内側の水域を固有のものとして認める考えを群島理論といい、その適用を受ける国を群島国という... |
出典:朝日新聞社「知恵蔵2009」
![]() | 群島国 群島(多くの島が相互に接近して存在し、自然の地理学上の単位をなしているもの)が歴史・地理・経済・政治・社会・文化などの要因に基づいて密接な単一体をなしている場合、個々の島についてではなく全体としての群島の最も外側の島を結ぶ直線基線から領海などを測り、内側の水域を固有のものとして認める考えを群島理論といい、その適用を受ける国を群島国という... |
出典:朝日新聞社「知恵蔵2009」
![]() | 群島国【グントウコク】 群島(多くの島が相互に接近して存在し、自然の地理学上の単位をなしているもの)が歴史・地理・経済・政治・社会・文化などの要因に基づいて密接な単一体をなしている場合、個々の島についてではなく全体としての群島の最も外側の島を結ぶ直線基線から領海などを測り、内側の水域を固有のものとして認める考えを群島理論といい、その適用を受ける国を群島国という... |
出典:朝日新聞社「知恵蔵2009」