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「笹」の関連ワード⇒ 又のつとめて 又の年 又の朝 

笹【ささ】

[名]
植物の名。丈が低く茎の細い、小形の竹の総称。...

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[最終更新日:2007-12-11/JLogosid:5083682]
関連項目: 又のつとめて 又の年 又の朝 

全訳古語辞典

"古典の学習に必須の古語辞典決定版。教科書・入試で頻出の作品から用例を選出し、約23,000語を収録。
地名・人名から、和歌・俳句、歌舞伎・浄瑠璃なども幅広く採録。また用語解説のほか、百人一首や古典の主要作品解説も収録している。"

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笹森町(近世~近代)

江戸期~現在の町名明治初年~明治22年は弘前を冠称江戸期は弘前城下の1町武家地城郭の東に位置する北は亀甲【かめのこう】町,南は東長町,西は長坂町に接し,東側に土淵川が流れるまた町の中央部と東照宮の裏手を西から東へ二階堰が流れ,笹森橋が架かる当町は南東部の東照宮・薬王院の地区と,東長町から亀甲町まで長坂町に並行して南北に走る道筋の2つの地区からなる東照宮は,2代藩主津軽信牧の正室が徳川家康の養女満天姫であった関係から,幕府の政治顧問天海僧正の尽力により元和3年に城内に勧請し,寛永元年当地に移建されたもので,社禄は200石あり,慶安元年に太神宮の号が与えられている(津軽一統志)同宮の別当寺院の岩鬼山叡平寺薬王院は寛永寺の末寺で,寺領は200石あり,また社僧の千寿院・成就院・寿福院・教王院・延命院・観行院に各15石の寺領が与えられているなお「津軽歴代記類」によれば,薬王院ははじめ東照院と称したが,のち薬王院と改めたというその後薬王院衆徒が増え,天和3年には千寿院・仙城坊・円鏡院・学音院・成就院・一乗院・高智院・理教院などの12家がある(国日記)正保3年の津軽弘前城之絵図には,侍町と小人町(二階堰以北)として町割りされ,東照権現宮と別当寺院薬王院の門前に衆徒屋敷が配置されているまた北の二階堰(和徳堰とある)と東の土淵川を利用して西と南に堀をめぐらしている慶安2年の弘前古御絵図には,八幡町と八幡町下町御小人町(二階堰以北)と記され,侍屋敷7・小人屋敷11があり,ほかに居鯖14・煙草作5が住んでいたまた東照権現の門前に寺6・禰宜2が認められる寛文13年の弘前中惣屋敷絵図に町名が見えるが,二階堰から北は笹森町,南は侍町とあり,藩士が集住しているまた同絵図によれば,東照宮の境内全体が薬王院と記され,東照宮の名は見えない元禄9~10年宝永2~4年に行われた武家屋敷の郭外移転で当町に移った藩士も多い明和2年には東照宮の150年忌があり,薬王院が勤行を勤めている(平山日記)当町は従来,禄高100石以上・金15両以上の藩士の居住地であったが,寛政改革による藩士士着令の実施の過程で御目見以上の藩士に屋敷が給されたという(平山日記)寛政12年の分間弘前大絵図では,町屋はなく武家屋敷のみ43軒が見える明治3年には漢学を教える寺子屋桃李義塾があった(弘前市史)津軽天台四山の1つに数えられた薬王院も,神仏分離で東照宮が独立し,同5年に本堂が取壊され,寺坊も廃され寺領も没収されたなお,現在の薬王院は同10年の再興であり,寛永5年に造営されたという東照宮本殿は,昭和28年国重要文化財に指定された明治初年の「国誌」によれば,戸数31,町域は「上は東長町より下は亀甲町に至る,長三十八間五尺,幅三間三尺」とある同22年弘前市に所属東照宮・薬王院の門前と武家屋敷街であった当町は,その後も閑静な住宅地としてサワラ垣の屋敷も残っており,市社会福祉協議会の入る社会福祉会館と保育園,開業医院2などがあるが,弘前市内では変化の少ない町並みであるなお,東照宮の後,寿橋が架かる二階堰の北の田茂木町字山王地区(現山王町)に明治30年に遊郭が建ったため,東照宮門前も含めて通称寿町と呼ばれたことがある昭和3年の賦課戸数113世帯数・人口は,同25年196・876,同50年271・707,同55年224・627

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

笹谷街道【ささやかいどう】
柴田郡と山形市の境にある笹谷峠を通る街道名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

笹岡村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

笹谷街道【ささやかいどう】
奥羽山脈を越え仙台城下と山形城下を結ぶ最短距離の街道...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

笹ケ瀬川【ささがせがわ】
岡山市域を流れる川...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

笹間村(近世)
 江戸期~明治9年の村名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

笹平村【ささだいらむら】
(近世)江戸期~明治9年の村名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

笹川村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

笹平村(近世)
江戸期~明治9年の村名水内【みのち】郡のうち篠平村とも書いた犀川の北岸に位置し,大町街道が縦貫する地名の由来は,笹の生えた平による(地字略考)中世は春日氏の所領と伝え,篠平城跡がある松代藩領村高は,「慶長打立帳」36石余,「正保書上」すべて畑方で36石余,「元禄郷帳」48石余,「天保郷帳」52石余,「旧高旧領」53石余家数・人数は,文化6年329人(朝陽館漫筆),安政3年77軒(領内村々家数留/県史近世史料7-1),慶応4年78軒・398人(家数等改帳)天保9年の馬数8(七二会村史)同11年の免相・本新田高付帳(県史近世史料7-1)には,本田36石余・新田3石余,免4ツ寛永3年上町・下町に3日ずつの六斎市が許され,享保17年からは九斎市になったこの当時は上町組25軒・下町組15軒であった主として麻・蚊帳地・楮・生糸などが取扱われ,天王祭礼も行われたこれは春日氏の時代から行われていたという(上水内郡誌)対岸の山布施村との間の犀川に舟渡しがあり,元禄年間には船頭給1石4斗を与えられていた(寺社領書上)延享2年に大火があり,55軒中42軒が焼失した(七二会村史)弘化地震では79軒・390人のうち,全壊70軒・半壊3軒・死亡25人の被害をうけた(むしくら日記/信叢9)元禄10年の堂宮改帳によると,八幡宮・道六神など8社と権現堂・十王堂の2堂があり,同年の寺社領書上に浄土宗正源寺があって寺領1石が除地となっていた明治4年松代県を経て長野県に所属同7年の調べによると,すべて畑で40石余であった(県町村誌)学校は同年正源寺に文昇学校を創設し,瀬脇・笹平を学区とした同9年七二会村の一部となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

笹岡村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

笹館村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

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