前方一致 全文(カスタム検索)
Guest Guest
  1. JLogos検索辞書>
  2. 佐保とは

「佐保」の関連ワード⇒ 又のつとめて 又の年 又の朝 

佐保【さほ】


[[地名]]さほ【佐保】(サホ(オ))現在の奈良市法蓮町・法華寺町付近。佐保山のふもとにある佐保川北岸の地で、平城京の北東にあたる。奈良時代には大伴家持(おおと...

全文を表示する


[最終更新日:2007-12-11/JLogosid:5084010]
関連項目: 又のつとめて 又の年 又の朝 

全訳古語辞典

"古典の学習に必須の古語辞典決定版。教科書・入試で頻出の作品から用例を選出し、約23,000語を収録。
地名・人名から、和歌・俳句、歌舞伎・浄瑠璃なども幅広く採録。また用語解説のほか、百人一首や古典の主要作品解説も収録している。"

◆関連辞書(JLogos内)

全訳古語辞典 全訳古語辞典 全訳古語辞典 全訳古語辞典 全訳古語辞典 全訳古語辞典 全訳古語辞典 

  1. amazon商品リンク
佐保(古代~

 大和期から見える地名

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

佐保田(中世)
平安末期から見える地名奈良のうち奈良の北限をなす地仁安2年9月12日付法橋某下知状(東大寺文書/平遺3435)に「佐保田本免事」とある①佐保田荘佐保田本免ともいう一乗院門跡領「簡要類聚鈔」第1に「佐保田庄〈大后寺領也〉」とある一乗院根本御願領といわれ,平安中期の同門跡本願(定好あるいは定昭)の時代にまで遡る所領と伝えられる(寺社雑事記文明7年4月5日条)応永34年の一乗院昭円講師段銭納帳(天理図書館所蔵文書)には「佐保田庄〈卅一貫文納〉」と見える永享7年佐保田荘引付(同前)によれば当荘は名田30町4段180歩,西方・東方に両分され,1町2~3段のほぼ均等な規模を持つ25名からなっていた応永年間には一乗院門跡坊人の国民吐田豊田氏が当荘公文職を恩給され,同じく岡氏が当荘中司職のほか荘内の5名(御恩名)を給付されている(応永27年一乗院方坊人用銭支配状/天理図書館所蔵文書)また文明年間には国民超昇寺氏が下司職を有した(寺社雑事記文明3年7月20日条)室町期~戦国期には一乗院門跡坊官で同院御後見職を相承した二条氏が代々当荘給主職(預所職)を恩給されて荘務に携わった(応永9年2月13日付一乗院政所下文・文安2年8月12日付一乗院政所下文/京大一乗院文書,正長2年9月3日付一乗院政所下文/天理図書館所蔵文書など)文明年間二条兼乗の代には当荘内20名のほか御恩名5名のうち2名を給されて合計22名を二条氏が知行していたが,これらを借銭のかたに入質して質流れ地となったため,大半は大乗院門跡被官や国民越超寺氏・奈良中地下人らの所持となっていたという(寺社雑事記文明7年8月7日・11日条など)東西25名の御米(年貢米)は148石余(永享7年佐保田荘引付/天理図書館所蔵文書),このうち門跡が預所二条家に知行させる20名分は116石余(永享7年佐保田荘御米散用状/同前)名主は当荘が奈良町北郊に位置するところから,北法蓮・北市・手掻・新在家など奈良町諸郷の住人が多く,布屋・唐笠屋・クシヤなど屋号を持つ者もあった比定地は現在の奈良市法蓮町西部一帯を中心とする地域で,西は大乗院門跡領佐保田新免荘に接する(永享7年佐保田荘引付/天理図書館所蔵文書,内閣文庫所蔵嘉吉3年9月5日付佐保田新免荘土帳/日本荘園絵図集成上)②佐保田新免荘単に新免荘ともいう大乗院門跡領(菩提山正願院領)早く,寛喜2年4月28日付正願院仏事用途所当注進状(興福寺文書/鎌遺3983)に「新免一斗」と見える「三箇院家抄」巻2に「佐保田新免田 二十町五反三百十歩〈加大路小路定〉」とある法花寺の南北,平城左京2条3坊の16か坪を占め,旧一条大路・二条大路も開墾されて田地化していた荘域の南部を佐保川が東西に貫流,東で一乗院門跡領佐保田荘田に接する室町期には荘域の西北角に石塔と辻堂が設けられていたが,これは奈良領の北堺の標識となったものであろう(内閣文庫所蔵嘉吉3年9月5日付佐保田新免荘土帳/日本荘園絵図集成上,三箇院家抄2,寺社雑事記文明7年4月7日条)現在の奈良市法華寺町南西部から芝辻町4丁目付近にあたる荘田は正願院堂塔修理田2町・同院供僧布施田3町・同院法会油料田4町1段など菩提山正願院領田が多くを占めている(三箇院家抄2・3)また大乗院門跡坊人の衆徒法花寺奥氏の請負う田地3町7段があり,その分米29石9斗余のうち4分の1が給分として恩給されている(三箇院家抄1・2)寺門・門跡から恒例・臨時の段銭・段米・用銭・用米を賦課された寛正6年将軍御下向寺門段銭帳(成簣堂大乗院文書)に「新免田十七丁余」,享徳2年大乗院御領段銭引付(内閣大乗院文書)には「新免庄 十五丁二貫七百八十五文上之」とあるまた興福寺の律家方唐院が差配して奈良領内に課する奈良段銭の負担もあった(寺社雑事記長禄3年3月21日条など)佐保田の地の鎮守は佐保田天神社で,佐保田荘・佐保田新免荘ともに同社の神田が設定されていた(永享7年佐保田荘引付/天理図書館所蔵文書,寺社雑事記明応4年2月3日条)また両荘ともにしばしば佐保川の氾濫によって損害をこうむり(寺社雑事記文明2年5月12日・5年6月15日・7年4月7日条など),佐保田新免荘では法花寺奥氏が差配して堤修築にあたっている(同前文明5年7月9日・11日条など)このため佐保川の灌漑用水利用は困難で,用水は幸池(鴻池)・岩鍋池(ウワナベ池)が利用された(永享7年佐保田荘引付/天理図書館所蔵文書,寺社雑事記文明12年6月9日条)天正8年の大乗院御知行分帳(広大大乗院文書)に奈良領のうちに「新免領」として田数4町2段余,分米14石9斗余,「佐保田庄」として田数1町2段余,分米15石余を記す...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

佐保山【さほやま】
阿保山・奈保山を含む,佐保川北方に広がる丘陵地帯の総称...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

佐保川【さほがわ】
県の北部,奈良市から大和郡山市域へ南流する川...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

佐保川【さほがわ】
県の北部,奈良市から大和郡山市域へ南流する川...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

佐保【さお】
(中世)鎌倉期~南北朝期に見える地名...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

佐保(中世)
鎌倉期~南北朝期に見える地名肥前国松浦郡宇野御厨のうち棹・佐尾とも書く弘安9年10月2日白魚弘高避状案によれば,弘高は中浦部白魚を白魚盛高に譲与しているが,その堺として「さをのさき」が見える同10年正月15日青方覚尋譲状案では,浦部島青方地頭職が覚尋(能高)から子息高家に譲られているが,その四至に「みなミハさをさき」とある青方氏は,小値賀【おぢか】島の地頭峰氏の下沙汰職(地頭代官)であり,実質的な領主権は峰氏に奪われていた年月日未詳の峰貞陳状案によれば,小値賀・浦部地頭峰貞は,峰氏が青方氏を下沙汰職に任じたのは家高・能高2代に限ってであり,家高のもう1人の子息弘高は佐保・白魚代官としたが,公私無沙汰により改易し,その時怠状を受けとったとしているそれに対し,弘高の子息白魚行覚(時高)は,年月日不明の申状案で佐保・白魚は家高から弘高に譲られ,行覚に至るまで40余年に渡り知行していると主張し,それを峰貞が濫妨したとしている幕府は参決すべきことを命じたが,年月日未詳および嘉元2年6月25日鎮西御教書案によれば,峰貞は度々の召文を叙用していない行覚は,年月日未詳の申状案で,貞が召文に応じないのは自らの罪科を認めているからだとしているしかし貞は,嘉元2年7月日の申状案で,弘高が佐保・白魚の代官であったにすぎないことはその怠状により明白であり,行覚は貞の所領の住人であると述べ,同年8月3日には貞の請文を進める沙弥高西吹挙状案が出されている行覚は同年9月日の申状案で,浦部島は尋覚から次男家高に譲られ,同島内佐保・白魚は家高から次男弘高に譲られたもので,弘高が代官であった証拠とする怠状は弘高の自筆ではないとした貞は同年11月日峰貞代長陳状案で,家高は浦部下沙汰職であり,下地を段歩も有せざるに,所々を子息へ割分譲与したのは不当であるとしている同3年2月日白魚行覚申状案で,行覚は重ねて佐保・白魚に対する貞の押妨を訴えているが,同年3月日峰貞陳状案で貞は,小値賀・浦部は尋覚から嫡男通澄を経て峰持に譲られ,持以後貞まで相伝領掌されてきたものであると主張し,弘高が佐保・白魚代官であったことは文応元年6月24日弘高起請文に明らかであるとした行覚は年月日未詳の申状案において,弘高自筆状なるは偽書であるとし,嘉元3年11月日および同4年6月日の申状案で,貞との相論に追加の具書等を進めている正和4年6月2日鎮西探題裁許状案は,佐保・白魚両浦地頭職は貞の知行に相違ないこと,下沙汰職は貞の押妨を停止し行覚が領知すべきことを定め,ここに両者の相論に裁決が下されたしかし,押領物に関する裁許がなかったため,行覚は文保元年11月日の申状案で,正安3年以後の佐保・白魚以下所々における押領物を貞に糺返させることを求めて,訴えを起こしている佐保は,以後,元亨5年6月10日白魚行覚譲状案で行覚から盛高へ,元徳2年5月4日白魚盛高譲状案で盛高から嫡子繁へ,正平12年4月29日白魚政譲状案で政から嫡子乙若丸へ譲与された(以上,青方文書/史料纂集)なお,近世の成立と思われる正平2年(9年か)12月日の近藤定秀書状写(中浦辺堺目日記)によれば,この付近は,平戸松浦・志佐・青方氏の三方領となったようである現在の若松町桐古里郷佐尾が遺称地であるが,中世は桐古里郷一帯を指したと考えられる...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

佐保村(近世)
 江戸期~明治41年の村名...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

佐保村(中世)
 鎌倉期~戦国期に見える村名...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

佐保村【さほむら】
(近世)江戸期の村名...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

佐保村(近世)
江戸期の村名佐賀郡のうち嘉瀬川中流の西岸の平地に位置する小城【おぎ】藩領佐保川島郷に属す嘉瀬川の西岸一帯を指す佐保川島郷は佐保村に由来する地名である佐保川島の初見は慶長18年3月13日の河上山神通寺に宛てた鍋島勝茂寄進状で,「佐嘉郡佐保川島河上村」とみえる(実相院文書/佐史集成1)「天明郷村帳」「文化郷村帳」ではともに小村に土生【はぶ】がある村高は「正保国絵図」「天明村々目録」ではともに210石余,「天保郷帳」では217石余「旧高旧領」には見えない鎮守は兵動八幡社永享2年兵動家の祖正光は九州探題渋川満直に従ったのを機会に佐保村に居を構え,鎌倉八幡の神霊を勧請して当地に祀り,兵動八幡と名づけたという兵動光明は佐保村・楢田村・池上村など90町余を領し,竜造寺隆信に仕えていたが,天正12年3月の島原攻めにおいて戦死した光明の末子政徳が小城の鍋島元茂に仕えて以来,兵動氏は小城藩士として仕えた(大和町史)八幡社前墓地には兵動氏代々の五輪塔があり,中世以降に活躍した兵動氏一族の面影が見られる「明治7年取調帳」では楢田村の枝村として見え,「郷村区別帳」では1村として見え,枝村に池上村・楢田村・於保村があり,反別222町余「明治11年戸口帳」によれば,池上村のうちに「佐保分」と見え,戸数23・人口74...

全文を表示する

出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

西暦2024年(平成36年)
529曜日
新着時事用語
リースバック(住宅)の注意点
┗リースバックとは、自宅不動産を事業者に売却して即資金化しつつ

自筆証書遺言書保管制度
┗自筆の遺言書を法務局で保管してくれる制度のこと。2018年に

アポ電詐欺・強盗
┗ 高齢者を狙った詐欺犯罪の手法。オレオレ詐欺の一種とされる場

高輪ゲートウェイ
┗JR東日本が2020年に新設する駅名。田町駅と品川駅の間、東

不用品回収
┗ 部屋の片付けや老前整理・生前整理・遺品整理等で、業者が家庭

所有者不明土地
┗ 永年相続登記(不動産の名義変更)が行われずに、登記簿上で所

遺言控除
┗ 有効な遺言書による相続となった場合、相続税の基礎控除額に上

今日を知る

今日の記念日

『こんにゃくの日、エベレスト登頂記念日』

こんにゃくの種芋の植え付けが5月に行われることから「こん(5)にゃ(2)く(9)」の語呂合わせで全国こんにゃく協同組合連合会が1989(平成元)年に制定しました。こんにゃくは、主成分の食物繊維などがコレステロールの低下に役立つといわれています。

今日の暦

月齢:21

月齢:21
月名(旧歴日):二十日余りの月(はつかあまりのつき)

・2024年(年/竜)
・5月(皐月/May)
・29日
・水
・Wednesday
・先勝

二十四節気:「小満<
・a>」から<
・font>9日「
芒種<
・a>」まで<
・font>7日


JLogos Now!!