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![]() | 等々力町村【とどろきまちむら】 (近世)江戸期~明治7年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 等々力町村(近世) 江戸期~明治7年の村名安曇【あずみ】郡のうち松本藩領保高組に属す「慶長改帳」では等々力村に含まれている以後の村高は,「正保書上」196石余,「元禄郷帳」153石余,「天保郷帳」215石余,「旧高旧領」231石余当村は糸魚川【いといがわ】道(越後街道・北国街道)の宿場として,保高町村とともに保高宿を形成していた当初保高宿の長さは1町半と短かったが,のちに北へ延長して3町ほどの宿に拡張,西へ鉤形に屈曲する町並みとなった寛政年代の絵図(二木幹夫文書)によると,町の南入口付近を矢原堰が横断,これから分水した払堰が宿中央を北に貫流しており,保高・等々力両町の境,十王堂には長さ2間・幅9尺の板橋が架かっている町割は6間,慶安4年の検地帳による屋敷の大きさは,1畝歩未満が4軒,2畝歩未満が22軒,1反歩未満が4軒本役は等々力町が35軒,保高町が24軒問屋元屋敷(25間・30間)は町の東裏手呑堰より後方の裏道沿いに堀をめぐらして建っていたが,のちに町並みの東側へ移転した保高宿の問屋は代々等々力町の井口家で,中世末天文6年以来の宿問屋に関する文書を伝えている(井口平八文書)南は新田宿へ,北は池田宿へと荷物の継送がなされたが,継荷の主な物は,糸魚川方面からは北塩と海産物,特に正月用の捲鰤(生鰤)が糸魚川の四十物として送られてきたまた大町方面からは麻類・煙草などが保高宿問屋の手を経て松本へ送られ,北への荷物は松本から主に生薬など生活用品が新田・保高・池田・大町と中継輸送されたなお問屋井口家の分家で,江戸に出て豪商となった井口(のち飯島と改姓)喜左衛門がある喜左衛門は享保8年井口家の四男として生まれ,12歳で江戸に出て,米穀木材商や幕府の工事請負などで数十万両の資産を蓄えた天明4年彼は家督を兄の子に譲って帰村したが,その際,兄井口半蔵とともに46か条の井口家家訓を残している(井口準次郎文書)寺院は真言宗牛流山真竜院,神社は鹿島大明神・八幡社・蛭児社明治4年松本県を経て筑摩県に所属同7年の村地情景明細表によると,戸数86・人口366,新反別は田30町4反余・畑13町3反余,産物は米30石・大豆10石・莨1,000斤・繭4石・薄荷製7貫,その他,魚類・菓子類・酒・醤油・油などと鶏120羽・馬44疋明治7年東穂高村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 等澍院【とうじゅいん】 日高地方様似町本町2丁目にある寺... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 等閑【なほざり】 なほざり【等閑】(ナオザリ) ▲もともとは変化のないようすの意とされており、そこから深く心に留めないようすの意が生じ、さらにおろそかであるようすの意に転じた... |
出典:東京書籍「全訳古語辞典」
![]() | 等々力村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 等持院【とうじいん】 京都市北区等持院北町にある寺... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 等々力郷(中世) 南北朝期~戦国期に見える郷名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 等々力村(近世) 江戸期~明治7年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 等弥神社【とみじんじゃ】 桜井市桜井にある神社... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 等級【とうきゅう】 星の明るさは,「等級」によってあらわします... |
出典:東京書籍「宇宙の科学アストロジア」
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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」