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[最終更新日:2006-12-11/JLogosid:704853430]
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![]() | 赤松村(近世) 江戸期~明治22年の村名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 赤松村(中世) 鎌倉期~戦国期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 赤松村(中世) 鎌倉期~戦国期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 赤松村【あかまつむら】 (近世)江戸期の枝村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 赤松村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 赤松村(近世) 江戸期の枝村名豊後国速見【はやみ】郡横灘【よこなだ】領のうち四極【しはつ】山(高崎山)の西の山間地域に位置し,東・南は大分郡に接する本村は浜脇村はじめ幕府領で慶長6年豊前中津藩細川忠興家臣松井康之預地寛永4年旗本筑紫氏の知行地慶安年間頃幕府領となり,寛文5~6年肥後熊本藩預地天和2年日田藩領貞享3年から幕府領で高松代官所(現大分市)支配地寛保2年~延享4年豊後小倉藩,寛政11年~慶応3年肥前島原藩,慶応3~4年熊本藩の各預地村高は元和2年「速見郡横灘物成目録」175石余,135石余が田地,物成は47石余(松井文書)「正保郷帳」以降村高の記録はない村内を横灘地方(別府市)と府内(大分市)を結ぶ街道が通る交通の要衝であった宝暦11年3月,隣接する大分郡の府内藩領田野浦村・山口村・七蔵司【ななぞうし】村との間で境界をめぐって争論が起こり,村内の百姓が刀や鉄砲を持ち出すという騒ぎにまで発展し,日田代官所の手で幕府の評定所に持ち込まれたその結果12月になって鉄砲を撃った百姓8名が遠島になったほか,府内藩も藩主以下が処分を受けた(銭瓶【ぜにがめ】石騒動記録)明治期は浜脇村内の通称地名,明治42年の市区改正時に別府町大字浜脇内の公式の通称地名となった現在の別府市大字浜脇のうち... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 赤松(近代) 明治22年~現在の大字名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 赤松村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 赤松村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 赤松村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 赤松村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」