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![]() | 井桁町(近世~近代) 江戸期~昭和56年の町名江戸期は名古屋城下町続きの1町広井村のうち大代官所支配享保13年から一部事務が町奉行に移管(吏事随筆)名古屋城本丸の西に位置する堀詰町の南裏通りで江川までの横筋はじめ中条東四郎康隆の下屋敷であったところで,延享3年蛯屋町の信濃屋関戸喜兵衛に払い下げとなり,寛政年間頃から順次町屋となった文政5年頃,関戸鉄太郎控地子・井桁町ならびに田畑ともで反別1町余,定納米7石余,屋敷奉行の支配地であった町名の由来は,関戸家の家紋井桁による(名古屋市史)関戸家は伊藤・内田両家とともに尾張藩御用達商人の首座を占め,名古屋三家衆の名で知られた関戸氏の祖信忠は織田信安の家臣岩倉落城の後,春日井郡小木村に隠棲していたが,孫の五兵衛の代に蛯屋町に移住し,質屋を営むかたわら薬種その他を信濃に売り込んだところから信濃屋の屋号を用い,やがて蛯屋町の町代となった五兵衛の子喜兵衛の代に米穀・味噌を商うに至って家運隆昌し,藩の御用金調達にまで進んだ文化元年鉄太郎が家督を継いで15人扶持となり,文政6年15町歩の除地を許され,さらに天保14年合力米5万俵を下賜された(関戸家譜)町域は,小舟町2丁目および藪下町の南,比米町の西,隅田町の北,江川の東にあたった明治11年名古屋区,同22年名古屋市,同41年からは同市西区に所属昭和50年の世帯数61・人口216同56年幅下1~2丁目・新道1~2丁目となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 井桁村【いげたむら】 (近世)江戸期~明治8年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 井桁村(近世) 江戸期~明治8年の村名井下田とも書いた会津地方南部,舘岩川南岸に位置する会津郡のうち古くは立岩郷に属したはじめ会津領,寛永20年からは南山御蔵入領熨斗戸組に属す村高は,安永7年の「会津鑑」では61石余,「天保郷帳」「旧高旧領」ともに66石余化政期の家数5軒(新編会津)貞享年間頃の耕地は畑のみ(風俗帳/県史23)元禄元年井桁堰が築造された(神主阿久津家文書/郷土史)神社は上郷8か村の総社鹿島神社,同社は異本長帳には長治元年に「鹿島大明神祭」とあり,明応年間に遷宮を行った旨が記されているが,「新編会津」には「鎮座の年代を伝えず」とある寺院は浄土真宗専修寺派自源寺,同寺は異本長帳には承保年間の建立と記すが,「新編会津」では建立年代は不詳明治8年の戸数11・人口36(若松県地誌資料)同年八総【やそう】村に合併... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 井桁【いげた】 *木材を井桁に組む arrange pieces of wood into a double cross((英訳お願いします))... |
出典:東京書籍「アドバンスドフェイバリット和英辞典」