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板屋【いたや】


板でふいた屋根...

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[最終更新日:2006-12-11/JLogosid:704874120]
関連項目: ワンステップ ワンタッチ ワンダン 


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ベネッセ国語辞典 電子特別編集版

『福武国語辞典』を元に編集した電子特別編集版。日々の仕事・生活の中で使われる言葉や意味、用法が重要な現代語を中心に約6万語を収録。文章を書く際に役立つよう用例を多く掲載するなど使いやすさを追求した国語辞典。

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板屋町(近世)

 江戸期~明治22年の町名

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

板屋村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

板屋町【いたやまち】
(近世)江戸期~明治6年の町名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

板屋町(近世)
江戸期~明治6年の町名前橋城下町人町の1町貞享元年の「前橋風土記」による城下19町のうちに町名が見える(県史料集1)広瀬川右岸に位置する西は竪町,南は横山町と接する東は,町の東端で道が2つに分かれ,うち南の道は萱町,北の道は広瀬川を越えて諏訪町に通じた町名の由来は板割りの職人町であったためと思われる広瀬川に沿っており,木材運搬のため水運の利用が容易であった文政12年の諸職人元帳には大工3・屋根葺職2・板割2・畳刺1・桶師2・鍛冶師2・指物師1が見え(勢多郡誌),職人が多く集まっていた町であったうち屋根葺伊左衛門には「文政九戌正月より棟梁申付候に付役銀免」とあり,大工清次郎にも「申十二月棟梁申付候に付役銀免」とある戸口は,明和8年正月12日の大火記録(松平藩日記)によると総家数52,このうち焼失38寛政2年の家数人別書上帳(前橋市立図書館蔵文書)には,組数5,家数43,竈数47うち家主43・借家3・尻付1,人数は男79・女76,座頭1・寺社3・持馬6文政4年の前橋総町絵図(勝山氏蔵文書)には,組数6,家数56,社寺3,面積3町4反余とあるなお町内には明治2年まで市中青物寄場があった(町年寄御用日記/松井家文書)「前橋風土記」に「道は東西に通じ寺院多し」と見えるが,寺院は明治12年の寺院明細帳(県立文書館蔵文書)に数多く記される元亀2年創建の浄土宗大蓮寺,同寺持観音堂・同寺持阿弥陀堂慶安3年橋林寺12世天巌巽尭の弟子竜恕開山の曹洞宗高岑院,同寺持薬師堂親鸞二十四輩第6の成然開山の浄土真宗大谷派妙安寺同寺は酒井重忠の転封に伴い,下総国から川越へ,そして慶長6年前橋へ移転したこのほか同宗隆勝寺・了覚寺が見えるうち高岑院はその後朝日町へ,了覚寺は上泉町へ移転したなお大蓮寺はもと城内虎が淵にあり,虎淵山と号し,寺内に虎が淵決壊防止を祈念した弁財天を祀る同寺にちなみ寺の東の通りを弁天通りと呼ぶまた妙安寺は親鸞の寿像を東本願寺創建に際し奉納したので御里御坊の寺と称し,真宗関係の多くの宝物を所蔵本山では鍵役を代々務めている明治6年立川町と改称...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

板屋町【いたやちょう】
(近世~近代)江戸期~現在の町名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

板屋町(近世~近代)
江戸期~現在の町名明治初年から明治22年まで岡崎を冠称江戸期は岡崎城下の1町岡崎城の西,外郭内の町で東海道往還筋に面する伝馬役町享和2年の書上では,畑高112石余,うち屋敷廻り8石余(旧岡崎市史),「旧高旧領」123石余(うち伝馬所除地19石余)町名は,天正19年岡崎城主田中吉政が城北の天神山を削り,城西の沼地を埋めて当地に板屋を建て,町を造成したことに由来するという(旧岡崎市史)伝馬役54人分の負担は水害などで勤めかね,文化年間頃から茶屋商売を願い出て茶屋女が置かれるようになった(旧岡崎市史)「丕揚録」に「鉄性公ハ,岡崎板谷木綿ヲ御上下ニ被成タリ」とあるのは,板屋町で織られた木綿のことと思われ,鉄性公(水野忠善)の頃には当町の木綿が既に知られていた毎月11・12日に市が開かれた享和2年の書上では,町の長さ3町16間・幅2間4尺,家数73・人数302,職業は農業29,日雇稼22,鍛冶7,薬種・穀商・荒物・鞘師・餅屋各2明治15年の戸数108・人口389,耕宅地14町余・山林原野9反余(岡崎市史)同22年岡崎町,大正5年からは岡崎市に所属江戸期以来の茶屋が明治期以後は遊郭に発展し伝馬町と並ぶ繁華街となったが,大正12年に中町に移転した昭和20年7月20日の空襲で被害を受けなかったため往時の町並みを留める新田白山社は徳川家康が上州新田から勧請したもので,観音堂に永禄9年家康の室築山殿が念持仏を安置したといい,境内には水野氏時代の藩儒秋本嵎夷の碑がある大正5年の戸数104・人口608昭和28年の世帯数446・人口2,058同50年一部が中岡崎町となる...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

板屋村【いたやむら】
(近世)江戸期~明治5年の村名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

板屋村(近世)
江戸期~明治5年の村名日向国児湯【こゆ】郡のうち板谷村とも書く小丸川中流,尾鈴山南西の板谷谷に位置する地名の由来は,急崖が板状に重なり合っている地形にちなむと伝える高鍋藩領「日向地誌」の石河内村の項に「日向国風土記及ヒ天正十九年日向国郡分帳ニ比木方百町トアリ他ノ村号見エス,正徳ノ頃郷村帳ニ至ツテ比木方ノ名号亡ヒ始テ石村・板谷村・鹿游村・持見村・川原村・市ノ山村・高城村・椎木村・上江村・高鍋村等ノ村号見ユ」とあり,当村は比木方(肥木方)から分かれて成立したことが知られるただし,村名は寛文4年「日向国之内秋月領地覚」(川南町史)にすでに見えている新納【にいろ】院のうちの石河内郷に属し,石河内庄屋の管轄下にあった村高は,寛文4年「日向国之内秋月領地覚」,元禄11年「日向国覚書」,「天保郷帳」,嘉永7年「領知郷村高辻帳」(日向国史下)ではともに1石余当村は僻地であるため,庄屋の下役である口才が置かれており,嘉永3年には欠落した千五郎に代わって庄作が口才に任命され,役料として赤米1石5斗・畠地物1石・屋敷2反4畝が支給されている(続本藩実録)明治4年高鍋県を経て,美々津県に所属明治5年石河内村の一部となる(各町村沿革取調/役場文書)...

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板屋村(近世)
 江戸期~明治22年の村名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」

板屋町【いたやまち】
(近世)江戸期~明治4年の町名...

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出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」

板屋町(近世)
江戸期~明治4年の町名田丸城下の1町田丸城の東,東西に通る街道に面して位置し,西は南北に流れる善兵衛川の橋で大手町と接し,東は十字路で萱【かや】町と接する町名の由来は,町家の屋根が板屋根であったことにちなむといわれる(玉城史草)田丸城下は寛永年間に本格的に整備されたが,当町もその頃に成立した戸数の変遷は,享保18年33戸(本役19・半役14),寛政年間33戸,天保2年33戸(うち本役18・半役14),明治9年24戸(田丸郷土史)小間物商大和屋・呉服商山城屋は,元和5年紀州藩領となった際に田丸城に在城することになった久野宗成を慕って遠江【とおとうみ】国から移住してきたという田丸城下は伊勢神宮参拝者の増加にともなって次第に宿場町的な様相が濃くなるが,文政・天保年間頃に当町には橋本屋と巴屋卯兵衛の2軒の宿屋があった当町の南側には,金会所と呼ばれる藩札などを扱う役所があった宝永6年2月28日,大手町から出火した火災で,当町のほとんどである32軒が焼失した(同前)鎮守は,磯石橋詰にある稲荷社で,明治41年田丸神社に合祀される明治4年廃藩置県によって田丸城下は寒川【さむかわ】村となり,当町はその一部となる...

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