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![]() | 院庄(中世) 南北朝期から見える地名 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 院内村(中世) 鎌倉期から見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 院【ゐん】 ゐん【院】(イン) [1]周囲に高い垣をめぐらせた、貴族などの大邸宅... |
出典:東京書籍「全訳古語辞典」
![]() | 院内村【いんないむら】 (近世)江戸期~明治10年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 院内村(近世) 江戸期~明治10年の村名出羽国仙北【せんぼく】郡(寛文4年まで山本郡)のうち秋田藩領田沢湖岸の南にそそり立つ院内岳に水源を持ち,南流して檜木内【ひのきない】川に注ぐ院内川の上流山間部に村落が発達院内国有林中にある岩屋堂洞穴から弥生土器片や石鏃・石匙が出土院内岳は古代以来の信仰の山で,山腹にまつる大蔵千手観音(明治初年に大蔵神社と改称)は大同年間に坂上田村麻呂の奉納といわれ,古代・中世の遺物とともに,田沢湖神のタツコ姫生誕の地という数多い伝説を伝える大蔵山の堂宇は明治41年火災に遭い,宝物を焼失したが,慶長5年奉納の絵馬をはじめ,天和3年の芦名義勝の側室安昌院が子盛俊の供養に建てた石仏や,享和2年藩主義和の直筆に角館所預【ところあずかり】の北家義文が裏書して奉納した軸,文化10年の仁王像(施主佐藤善左エ門)などがあった藩主は大蔵山観音堂領に10石余を祭料として毎年供進したが,大蔵観音は難病平癒や馬産の守護神として近隣の信仰を集め,旧暦7月9~10日の祭日は参詣者でにぎわった別当は修験金剛院村名は院内郷・隠内村とも記され,近世時になって初見されるしかし,慶長8年の村高は165石余であり,中世成立の村とみられる石高は「正保国絵図」で本田当高142石とあり,「享保黒印高帳」では村高179石余・当高167石余(うち本田157・新田10),「寛政村附帳」では当高169石余(うち蔵分36・給分133),「天保郷帳」は167石余親郷は梅沢村村名は神成沢【かんなりさわ】・坂下・大乗坊・鳥居野の枝郷4か村の総称という戸数は「享保郡邑記」で26軒,「秋田風土記」で37軒「明治2年奥北浦取調書」では当高126石余・22軒・115人・馬12頭とある明治10年鎌川【かまのがわ】村と合併,岡崎村の一部となる... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 院内鉱山【いんないこうざん】 院内銀山ともいう... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 院庄【いんのしょう】 吉井川北岸の氾濫原を中心とする平野部に位置する... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 院内(中世) 南北朝期から見える地名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 院内銀山町(近世) 江戸期~明治22年の町名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 院林村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 院内村【いんないむら】 (近世)江戸期~明治8年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」