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![]() | 園城寺【おんじょうじ】 大津市園城寺町所在 |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 園部村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 園遊会(2014年春)と招待者【えんゆうかい(2014ねんはる)としょうたいしゃ】 毎年春秋の2回、赤坂御苑(東京都港区)で開催される、天皇皇后両陛下主催の催し... |
出典:Ea,Inc.「新語」
![]() | 園遊会(2014年春)と招待者【えんゆうかい(2014ねんはる)としょうたいしゃ】 毎年春秋の2回、赤坂御苑(東京都港区)で開催される、天皇皇后両陛下主催の催し... |
出典:時事用語のABC「時事用語のABC」
![]() | 園比屋武御嶽【そのひゃんうたき】 那覇(なは)市首里真和志(まわし)町2丁目にある御嶽... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 園村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 園部村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 園山荘【そのやまのしょう】 (中世)鎌倉期からみえる荘園名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 園山荘(中世) 鎌倉期からみえる荘園名薗山荘とも書く出雲国神門【かんと】郡のうち現在の出雲市西神西【にしじんざい】町周辺と推定される「吾妻鏡」文治2年7月18日の条に「出雲国園山荘前司師兼,為任憲大徳親眤,此間朝夕祗候,雖無日来之功,殊蒙御芳志,而望申出雲国園山荘下司職之間,可被還補件本職之由,今日賜御消息於師兼」とみえるのが初見貞応2年11月2日付の「関東下知状」(萩野由之氏所蔵文書/鎌遺3169)には「出雲国薗山新庄,可停止守護使入部也」とあり,また延応元年8月18日付の「関東御教書」(酒井宇吉氏所蔵文書/鎌遺5467)には「出雲国園山本庄」「園山新庄」とあって,鎌倉期より新・本荘の2つに分かれていたことがわかるまた同御教書には「出雲国園山新庄地頭之高通申,境相論事,本,新庄成楽寺三箇所各別也」とあって,園山荘(本新荘)が成楽寺(常楽寺とも書く)と接していたことが知られる明徳3年3月2日付の「神西性通譲状」(春日文書/新県史史料編1)に「出雲国そのやまのしやうの内,神西のそうりやうしき」とあり,園山荘が神西氏の支配下にあったようであるが,この文書を最後として園山荘の名は消え,戦国期には「神西」の名がみえる永禄12年9月3日付の「尼子晴久安堵状」(同前)には「一,三百五拾貫 神西,一,弐拾貫 畑,一,三百貫 神西ノ内三分,已上」とあって,2か所に神西の名がみえるこれは神西荘と,旧園山荘のことであって,園山荘が神西荘の内に包みこまれたことを示すものではないかと考えられるかつての園山荘が常楽寺(現簸川【ひかわ】郡湖陵町常楽寺)と境を接していたことを考えあわせると,のち神西荘の中に包み込まれた園山荘は現在の出雲市西神西町地域と考えられるのではないか... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
![]() | 園ノ州【そののす】 園の州とも記す... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典」
![]() | 園村(近世) 江戸期~明治22年の村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」